「家族の形は変わりますが」と子育て中の母が"ポジティブ離婚"するワケ…専門家が指摘する円満離婚の危なさ
■18年前に離婚し、ブログで「ポジティブ離婚」を発表した 女社長ブロガーとして仕事や家族の日常を綴っていた私は前夫との離婚が決まって、ブログにもそれを載せなければならなくなった。 「離婚しました! これからは長女と2人で新たな第2章を楽しんでゆきます!」と。 離婚後、元夫は月に1回娘と面会していたし、ちゃんと養育費も払ってくれていたし、私たちも離婚してからの方が友好的な関係になれた。けれど、娘から実質父親を奪ったこと、仕事と子育てを(人の手を借りながらも)一人で責任を持つこと、結婚生活を続けられなかったという自分に対する失望など、その「本当は存在していたはずの重圧」を当時私は見て見ぬふりをしていた。 それは、自分がブログに書いた言葉をなぞろうと必死だったからだと今なら解る。まるで自分の宣言に呪いをかけられたように「娘と二人で絶対に幸せにならなければ!」と思い込んでいた。ところがその1年後に元夫は、突然死をしてしまう。 一報を聞いたとき、私は人生で初めて「膝から崩れ落ちる」というのが比喩じゃないことを知って、取り乱し、うろたえ、自分を責めた。「もし離婚しなければ彼は死ななかったのでは?」と直接因果関係がないことまで思いを馳せ、立ち直れないくらい落ち込んだものだった。 ■離婚した人は「幸せにならなければ」とがんじがらめになる そして、離婚後の自分がいかに、「無理やり前を向こうと必死だった」こと、「自己責任論」にがんじがらめになっていたことを思い知った。元夫も私も、ベンチャー経営者同士で、業界で人間関係も丸被りしていたため、互いにずっと平気な振りをし続けていた、社員の手前「社長」のイメージを堅持していたというのも理由の一つだったかもしれない。 本当は彼も私も「離婚」で傷ついていたのだ。世間に対して隠せば隠すほど、自分でも無自覚になって、本当は深く傷ついていたのだと私が解ったのは愚かにも彼が亡くなってからだ。 だからと言って世の女性たちに「離婚するな」と言いたいわけではない。離婚があったからこそ私はその後再婚し、第二子をもうけ、今とても幸せなのはあの時決断しなければ、離婚しなければ手に入らなかったものばかりだから。