「わかるよ、クソだよねこの世界は」――米コロナ病棟で命に寄り添う、日本人牧師の奮闘
勤務2日目にして逃げ出そうと思った
「ハワイからニューヨークまでいろいろな病院に連絡して、直接交渉しました」
その結果、アボット・ノースウェスタン病院が受け入れてくれることになったが、ミネソタ州は1日2000人近いコロナ患者が発生する渦中にあった。慌ただしくスタートした勤務初日の初仕事は、人工呼吸器を切る現場への立ち会いだった。患者はまだ、未成年の子供。持病がコロナによって悪化し、手の施しようがなくなったのだ。集中治療室の扉の外では、憔悴しきった両親が見守っていた。 もう選択肢はない。しかし、最後の瞬間を、両親はともにすることができない。コロナ患者の集中治療室は、感染の危険があるため入れないのだ。中に立ち入れるのは医療従事者と、チャプレンだけ。 「私たち家族に代わって、子供のそばについてやって、祈り、看取ってほしい……」 言葉を聞いて、足が震えた。例えようもなく緊張した。それでもどうにか、防護服に身を包んで、英語で祈った。唇も震えた。
祈り終えると同時に、医師が生命維持装置のスイッチを切った。まだ幼い命が消えていく。目の前の現実が信じられなかった。 待合室では、両親が泣き崩れていた。チャプレンとしてなにを言えばいいのか、どうすればいいのかわからず、父親の肩を抱きしめて一緒に泣いた。それしかできなかった。 「2日目でもうダメだと、務まらないと思いました」 人が死ぬ瞬間に立ち会い、祈るという仕事の重さ。耐えられそうもなかった。それに、装備を固めていても、感染の恐怖が頭から離れない。目の前の相手は新型コロナウイルスに感染しているのだ。 そんなとき、上司のケネス・バーグ牧師(62)や看護師たちが、次々に声をかけてくれた。 「よくやってくれたよ」「大丈夫だ、それでいいんだよ」
ソマリア移民であるモハメドさんも、励まし、肯定してくれた。 「カズはまだアメリカに来たばかりじゃないか。それにしちゃ上出来だよ。僕らのチームでいちばん若いんだから、苦労もあるさ」 もう少しがんばってみようと思い直した。「ひとりでは絶対にできない仕事です」と関野さんは断言する。