「わかるよ、クソだよねこの世界は」――米コロナ病棟で命に寄り添う、日本人牧師の奮闘
宗教を超えてふたりは協力しあい、とくに日曜日は同じシフトで働く。冗談を言い合うことも忘れない。モハメドさんは言う。 「チャプレンの仕事は患者の感情と魂をサポートして、苦しみを和らげることです。宗教によってその道のりは違っても、目指すところは同じですよ」 病院には彼らイスラム教徒と、キリスト教徒でもプロテスタントとカトリックのチャプレンがおり、患者のケアに当たっている。
チャプレンを志した理由
関野さんには障がいを持った妹がいる。加えて、生まれたときから心臓病を患い、あまり長くは生きられないだろうと言われていた。 関野さんが大学3年生のときだ。妹の体調が悪化し、集中治療室に運び込まれた。急性の糖尿病だった。危篤となり、人工呼吸器をつけられ、全身が管だらけになった妹を見て、関野さんは神を呪った。 そんなときだ。知人の牧師が駆けつけてきてくれたのだ。妹のベッドの傍らにひざまずき、懸命に祈ってくれた。関野さんの肩を抱き、「大丈夫だから」と何度も言ってくれた。妹は奇跡的に快方に向かった。 「本当につらいとき、横にいて手を握ってくれる人間が、人には必要だと思ったんです」 その日、関野さんは牧師になることを決意する。
大学を出てから神学校に進学し、26歳のときに日本福音ルーテル東京教会で牧師として働きはじめた。東京・新大久保の歴史ある教会だが、関野さんは次々と牧師の枠を超えた取り組みを繰り出す。 趣味の音楽が高じてバンドメンバー全員が牧師というバンド「牧師ロックス」を結成。日曜の礼拝では型破りな説教をし、誰でも気軽に教会に入れるようにと毎週水曜日には「牧師カフェ」をはじめた。すべてはキリスト教や教会を、もっと身近に感じてほしいという思いからだった。 そんな日々の中で抱き続けていたのは、あの日、自分と妹を支えてくれた牧師の姿だ。聖職者というよりも、あの牧師のようなチャプレンになりたかった。となれば、チャプレンの文化が根づいているアメリカに渡り、実地で経験を積むしかない。 関野さんはチャプレンについて独学し、渡米していくつかの病院を見学して回った。語学力を高め、いつしか英語でミサを執り行えるようにもなった。だからルーテル東京教会には外国人の信者も多かったのだが、40歳という節目を迎えて旅立ちを決意した。2020年7月のことだった。