タイ代表・石井正忠監督の初陣で“混合サポーター”が作り出した熱狂。伝説となった「神対応」と二つの幸せな関係
「石井さんが監督になってから鹿島の街に…」
石井氏のすごいところはこういった活動をしながらしっかり鹿島の監督として結果を出してタイトルを取り続けていたことである。 鹿島の監督就任時に、鹿島の街を以前のようにサッカーで盛り上げたいと考え、練習後にクラブハウスで選手の即席サイン会を行うなどさまざまな施策を自ら考え実施した。前述の山町さんは2015年当時のことをこのように振り返った。 「Jリーグが誕生した1993年の開幕時は、本当に鹿島の街が熱狂していました。その後も鹿島の街がずっと盛り上がっていると思っている人がいるかもしれませんが、そうではなく、石井さんが監督になってから、93年のときと同じかそれ以上の盛り上がりが鹿島の街に戻ってきたんです」 鹿島のサポーターの中でも石井氏が監督をやるなら、石井氏への恩返しとしてもう一度クラブを盛り上げようというサポーターも多かったと山町さんは言う。 「鹿島が一番盛り上がっていたときのチームキャプテンがチームの顔となる監督になるというのはもちろん大きかったんですが、一番は選手引退後に鹿島のスタッフになってもまったく変わらずずっと地域の人たちやサポーターを大事にしてきていたことが大きかったと思います」 昔応援していたサポーターがスタジアムに戻ってきただけでなく、石井氏が行う真摯なファンサービスが、また新たな熱狂的な鹿島サポーターを生み出していき、鹿島の街が熱狂を取り戻していった。学校では先生がホームルームで昨日の鹿島の試合の結果を話題にしたり、街の中での日常会話に鹿島アントラーズが戻ってきた。 石井氏の魅力は監督として優勝して最優秀監督賞を取っても、クラブワールドカップで準優勝しても、その態度や接し方が一切変わらないところにある。それはタイに行っても変わらなかった。タイでは監督としてブリーラム・ユナイテッドFCで、リーグ、FAカップ、リーグカップの3冠を2年連続で成し遂げた。タイ史上初の快挙でもある。そのような結果を出しても石井氏のサポーターとの接し方はタイでも変わらない。真摯にサポーターとコミュニケーションを取る石井は「あの方はあそこで働いている方なんですよ」とサポーターのことを細かく覚えていたりする。タイでの練習中、選手とコミュニケーションを取る際には常にしゃがんで選手より目線を下げてから話すことを徹底していたのも石井氏らしいエピソードである。