マンガ「あさきゆめみし」で描かれた母の愛 花散里の容姿も… 源氏物語との〝違い〟の楽しみ方は
母・桐壺の更衣の「愛」の描かれ方
水野:リスナーさんから、「あさきゆめみしが読みやすいのは、大和先生の解釈が入っているからというのもあるんだろうなぁ」とコメントもありました。 たらればさん:おっしゃるとおりで。紫式部が千年前の貴族へ向けて書いたものが、そのまま今のわたしたちに伝わらないのは、当たり前ですよね。 その「隔たり」をどう埋めるのか、現代語訳がわれわれの解釈のキーポイントになります。その埋め方がうまかったりヘタだったり合わなかったりすることがあるわけで。 訳者の解釈が入るのは当たり前なので、それをどう着陸させるかが腕の見せどころなわけですよね。 水野:なるほど。 たらればさん:たとえば、光源氏の母・桐壺更衣が亡くなった時のこと。光源氏にとって「母の記憶」があるかどうかなんですが、源氏物語の原典と呼ばれているテキストにはその言及がないんですよ。 光源氏には母の記憶はないし、桐壺更衣も息子についてまったく言及していません。しかし、あさきゆめみしでは、光源氏は桐壺から愛されていたという描写があります。 源氏物語では、光源氏はもともと「母の愛を知らない者」というキャラクターだったわけですが、あさきゆめみしでは「かつて愛された母の愛を失った者」という設定になるわけです。 どっちが不安定なのか、母を恋しく思うのかというと、大和先生は後者の方がそうだろうと考えたんですよね。そんな違いがたくさんあります。 水野:それは読み比べてみたくなりますね…!
「欠けたピース」だらけの作品を
水野:リスナーさんたちに回答してもらったアンケート、大河ドラマ「光る君へ」の中で見たい源氏物語の名シーンについてですが、選択肢以外の回答が142件ありました。 こちらからいくつか紹介したいと思います。まずぶっちぎりだったのは、「車争い」でした。 たらればさん:「葵」の帖で、葵祭の際の場面ですよね。場所取りで、正妻と愛人が争って……という。葵の上も、六条御息所にも、悪気がなくて起こってしまうところがつらいですよね。 水野:以前から「光る君へ」では、道長のもうひとりの妻の明子女王がちょっと怖さがあるので、六条御息所みを感じています…。 たらればさん:「最高権力者なのだから、それぞれの妻のもとに通って子どもをたくさんつくるのは当たり前」…では割り切れない思いがそれぞれの女性にありますよね。 水野:しかし、お祭りの牛車を置く場所で、正妻と愛人の心理バトルを描くという…紫式部すごすぎますね…。 アンケートには「車争いのシーン、六条御息所が気の毒でいたたまれない。消え入りたいのに帰れない、ひどいことをした人だけどここは同情する」というコメントがありました。 たらればさん:そうなんですよ。従者たちが戦ったり逃げちゃったりすると、中に乗っている姫君は「身動きが取れずどこへも行けない」というのはその通りなんですよね。 外を歩いたことなんてない高貴な女性ですから、降りて逃げるわけにもいかない身分で、牛車が壊されたらその場で動けなくなるわけで。お忍びでこっそり見られれば…とやってきたのに大騒ぎになっちゃうわけですから。 水野:六条御息所が陰口たたかれちゃうのもつらいですよね…。 たらればさん:六条御息所って、もともとは東宮妃で、天皇の后になる可能性もあった人なんですよね。それが「年下の男に入れあげて、あげくに正妻ともめて動けなくなって、なんと恥ずかしい」とか言われたでしょう。こういう思いをしたら、生き霊ぐらいにはなるなぁという説得力の積み上げがすごい。