「アンタ大丈夫か?」パパ活騒動で国会を追われた宮澤博行を救ったあの「大物女性大臣」のメール
「『しゃべるな、しゃべるな』と。これですよ」自民党の裏金問題対応を批判し、直後に永田町を追われた宮澤氏。いったい今、古巣に対して何を思うのか―記者を前に、思いの丈をしゃべり倒した。 【全選挙区予測一覧】次の総選挙で自民党は「確実にボロ負け」する 前編記事『「パパ活騒動」後、恐る恐る帰宅…妻が放った衝撃の一言とは!「正直すぎる政治家」宮澤博行のその後の日々』より続く。
永田町での「ぼっち生活」
―東京でも議員宿舎を出てアパートを借りていたそうですが? 「議員宿舎は居心地が悪かった。家賃13万円の3LDK。私には高額すぎるし、そんな広い部屋にひとりでいたら余計に寂しくなります。それで宿舎を出て、中野坂上に東京滞在時の部屋を借りました。 築50年くらいのアパートで家賃6万4000円。もちろんエレベーターもなく、かなり古びていましたね」 ―寂しい時に飲みに付き合ってくれるような議員仲間はいなかったんですか? パワハラ発言で自民党を離れた豊田真由子元衆院議員や、'17年の総選挙直前に不倫疑惑が報じられた山尾(現・菅野)志桜里元衆院議員らは東大法学部の入学同期ですよね。 「本田太郎衆院議員や勝目康衆院議員も入学同期です。でも、仲がいい議員はそんなに多くなかったですね。唯一、頭髪の薄いメンバーで作った『日本を明るくする会』のメンバーは楽しい連中でした。特に八木哲也環境副大臣とは腹を割って話すことができました。 でもそれ以外は……。永田町では友人が少なかった。寂しかったことは事実です」 ―安倍派の人たちとはどうだったのですか? 「私は派閥幹部は兄貴のような存在だと思っていたし、必ず自分たちで裏金問題を解決してくれると信じていたから、当初は箝口令にも従っていました。しかし、国家のリーダーを目指す人たちが責任逃れに終始して、謝罪もマトモにできないなんて、あまりに残念で情けない。せめて私は説明責任を果たそうと、正直に話したのです。 あの暴露発言の後に連絡をくれたのは高市早苗経済安保相だけでした。メールをもらって訪ねて行ったら、『アンタよう言った。誰も清和研の中で戦うヤツおらんのよ。アンタだけや』と言ってましたね」