「中国の古典」と「日本の古典」のなかで、「神聖な立場」を与えられた「意外な動物」をご存知ですか?
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第19回)。 前の記事『「日本の和歌」と「古代ギリシャの詩歌」の「意外な共通点」…世界の見え方を「一変させる」驚きの力』では、古代ギリシャの「枕詞」について見ました。ここでは、古代中国の詩の枕詞について解説します。
古代中国で使われた「興」
枕詞的な用法は日本以外の国の詩歌にもあります。古代中国の詩における枕詞は「興」です。 「興」は、中国最古の詩集である『詩経』においてよく使われます。『詩経』には「六義」というものがあり、内容上の分類である「風・雅・頌」と、表現方法上の分類である「賦・比・興」とがあります。この六義、『古今和歌集』の序でも語られ、和歌にも使われていることは周知の通りです。 さて「興」は六義の中の表現方法上の分類のひとつです。文字通り、それによって何かを「引き興す」表現方法です。朱子は「興」について「先ず他物を言ひて以て詠ずる所の詞を引起するなり」と言っています。 直接は関係のないものをまず詠い、それで詠じようとするものを引き起こす。まさに枕詞であり、エピテトンです。『万葉集』でいう「寄物陳思」もこれに近い発想法ですね。ただ「興」は枕詞と違って定型の音数はありません。 ここで『詩経』の巻頭の詩「関雎」の最初の3行を読んでみましょう(全5章)。 (一)関関たる雎鳩は 河の洲に在り 窈窕たる淑女は 君子の好逑 「くゎんくゎんと鳴くミサゴは河の中州にいる しとやかで上品な乙女は 君子のよき連れ合い」 (二)参差たる荇菜は 左右に之を流む 窈窕たる淑女は 寤寐に之を求む 「高く低く生える荇菜は 左に右にこれを求める しとやかで上品な乙女は 寝ても覚めてもこれを求める」 (三)之を求めて得ざれば 寤寐に思服す 悠なる哉 悠なる哉 輾転反側す 「これを求めても得られないので 寝ても覚めても思いに暮れる ああ、果てしない思い 輾転として伏しまろぶ」 關關雎鳩 在河之洲 窈窕淑女 君子好逑 參差荇菜 左右流之 窈窕淑女 寤寐求之 求之不得 寤寐思服 悠哉悠哉 輾轉反側