「中国の古典」と「日本の古典」のなかで、「神聖な立場」を与えられた「意外な動物」をご存知ですか?
「興」をヒントに、新たな解釈が
従来の解釈では、この詩は「后妃が君主のために才色兼備の女性をえらび配する詩」と言われていました。雎鳩(ミサゴ)の雄鳥と雌鳥が河の洲で仲良く歌う。朱子はそれが「興」で、それが引き興すのは、「窈窕たる淑女が君子と連れ合いになり、和楽して恭敬、それでいながら男女の別があるさまである」といいます。 しかし、赤塚忠(中国古代思想)は「中国の古代詩は、上古の祭礼から発生し、祭場を中心にして展開し、それぞれの信仰によって成立し」、そして「興」も、その祭儀から発達したと言います(「中国古代詩 歌の発生とその展開」)。 すなわち「興」で詠まれるものは祭儀に必須であるものであり、そこには呪意が込められている。そして、「興」ずるものが呪物である以上は「興」詞は宗教的観念を有した呪詞であり、その物に懸けて神を呼ぶ直接的な感情を表白したものであるとするのです。 「関雎」の詩で、祭儀に必須で呪意が込められているものは「雎鳩」と「荇菜」です。このふたつがこの詩の「興」になります。 雎鳩は鳥です。鳥は古代人にとって神聖なもので、神霊の姿であり、神の使いでもありました。すでに殷(商)の時代の甲骨文にも鳥が神(天帝)の使いであると思われるような卜辞があります。 天帝の使いである鳳(風)に二犬を捧げて祈ろうか(『甲骨文合集14225』) 風という字は「凡(槃祭という風や雨を呼ぶ祭)」と「鳥」から成り「鳳」が原字です。いまの「風」の字は鳥が虫(龍)に変わっています。 日本神話でも天若日子を監視しに来た雉(鳴女)は、天つ神の使いでした。 また、鳥は死者の魂を運ぶものであり、死者の魂そのものでもありました。倭建命の魂が白鳥になったという伝説があります。催馬楽(紀伊州)ではカモメが人の魂を持ってくるようなものもあります。 天若日子の葬儀において「河鴈を岐佐理(死者に供える食物)を持つ役とし、鷺を箒を持つ役とし、翠鳥を御食人(調理人)とし、雀を碓女(臼をつく女)とし、雉を哭女(泣き女)として、八日八夜にわたって舞い歌って殯殮を行った」とあるのは、鳥たちが死者の魂を天上に送る儀礼に携わるという伝説があったのでしょう。 また、豊玉毗売命は子を産むときに「鵜の羽を以ち葺草と為し、産殿を造る」とあります。これは生魂を子に入れるためにも鳥が関与していたということを示す神話でしょう。祭儀においても神饌として供えられます。