女流歌人・待賢門院堀河の百人一首「長からむ~」の意味や背景とは?|堀河局の有名な和歌を解説【百人一首入門】
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)は、平安時代後期の著名な女流歌人です。崇徳天皇の母である待賢門院璋子(たまこ、または、しょうし)に仕えた貴族の娘で、源顕仲(みなもとのあきなか)を父に持ちます。前斎院令子内親王にも仕えた経歴があり、「女房三十六歌仙」に選ばれるなど、当時から高い歌人としての評価を受けていました。 写真はこちらから→女流歌人・待賢門院堀河の百人一首「長からむ~」の意味や背景とは?|堀河局の有名な和歌を解説【百人一首入門】 結婚して子どもがいたことが自身の歌集から推測され、崇徳天皇の退位後は待賢門院璋子とともに出家しました。「金葉和歌集」には66首の和歌が収められており、平安時代を代表する歌人の一人として知られています。2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』では、俳優のりょうさんが堀河局を演じました。あのクールなイメージが待賢門院堀河に重なっている方も多いのではないでしょうか。
待賢門院堀河の百人一首「長からむ~」の全文と現代語訳
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ 【現代語訳】 末永く変わらないという、あなたのお心もわからず、一夜を過ごして別れた今朝は、私の黒髪が乱れているように心も乱れて、あれこれと物思いをすることです。 『小倉百人一首』80番、『千載集』802番にも収録されています。この歌も崇徳院が主催した、「久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)」で詠まれた歌で、男が届けてきた後朝(きぬぎぬ)の歌に返歌する形で詠んでいます。 「長からむ心」は末永く変わらない心。ここでの「心」は男の心を指しています。「長し」は、「黒髪」の縁語です。男は「末永く変わらない誠実な心」を示しているものの、女はそれを信じ切ることができないのです。 「黒髪の乱れて」の「乱れて」は、逢瀬の後の髪の乱れと同時に心の乱れを表しています。「乱れて」も「黒髪」の縁語です。「けさ」は男女が共寝をした翌朝、いわゆる後朝を指し、男が去ってひとりでいると、恋しさと不安がつのってゆく心情を表した歌となっています。
待賢門院堀河が詠んだ有名な和歌は?
院政期歌壇の代表的な女流歌人だけあり、数多くの和歌が残されています。そのなかから代表的なものを紹介します。 1:吹く風の 行衛(ゆくえ)知らする 物ならば 花と散るにも 後れざらまし 【現代語訳】 吹く風が璋子様の行方を知っているならば、花のように散る後を私も追ったことでしょうに。今は死ぬこともできず残念でなりません。 待賢門院の落飾と共に出家し、仁和寺に住んだ頃から西行との親交が深まりました。この歌は西行との贈答歌として知られています。待賢門院の死後、西行から以下のような慰めの歌が届きました。 尋ぬとも 風のつてにも 聞かじかし 花と散りにし 君が行衛を 【現代語訳】 尋ねても風の便りにも聞けそうにもありません。花のように散ってしまった璋子(たまこ)様の行方を。 この歌の詞書には「待賢門院かくれさせおはしましける御あとに人々またの年の御はてまで候はれけるに南面の花散りけるころ 堀河の局のもとへ申しおくりける」とあり、この歌に返す形で詠まれたものです。 2:君恋ふる 嘆きのしげき 山里は ただ日暮しぞ 共に泣きける 【現代語訳】 亡きお方が恋しくて、私は何度も悲しい溜息をついてしまう。そんな思い出の多すぎる山里に人影はなく、ただ蜩(ひぐらし)だけが私の泣き声に合わせてくれるだけだ。 待賢門院が亡くなって一年後、待賢門院が出家後住んだ法金剛院を訪ねた時に詠んだ歌です。在りし日を偲び、悲しみにくれる様子が目に浮かぶようです。