「何のために自分は生きてるんやろ」南キャンしずちゃんがコロナ禍で見つめ直した“自分の生き方”
自分に向き合って、生き方を反省した
――山崎さんにとって「ひとり時間」とはどんな時間ですか? 山崎静代: すごく必要な時間やな、と思っています。私はほぼ毎日ジョギングしているんですけど、走っていると頭が整理されたり、いろんな反省ができたり、モヤモヤがなくなるような気がします。 あと、昨年末ひとり時間を使って「今年一番うれしかったことベスト3」「悔しかったことベスト3」とかいくつかの項目を書き出しました。普段はそういうことはやらないけど、自分がこれから大事にしていきたいことを改めて考えたり、自分は今後どうしていきたいのかを改めて考えることにしたんです。うれしかった項目のほうには、「『ダウンタウンDX』に2回出演できて、松本人志さんがこっちを見て笑ってくれて、自分のコメントを拾ってくれた」ことを書きました。 でも、全然書けなかった項目もあって……。ちゃんと自分と向き合って書き出すと、自分がいかにサッと流して生きているのかということもあからさまになる。自分が苦手なことや好きじゃないものは見ないようにして生きてしまいがちなので、それをあえて書いたことによって反省しました。
コンプレックスでしかなかった体型を“活かせる”と思った瞬間
――山崎さんはすごく打たれ強くて飄々と生きてらっしゃる印象があるのですが、コンプレックスで悩まれたことはありますか? 山崎静代: めちゃめちゃあります。もうコンプレックスの塊でした。 子どもの頃からおニャン子クラブに憧れていて、アイドルになってキラキラして目立ちたかったんです。でも、小学校に上がったらどんどん身体が大きくなっていって、「これはアイドルになる感じではないのかな」とだんだん思うようになりました。一番多感な時期は特に人の目が気になって、背が高いけど目立ちたくないから猫背になったりしてましたね。芸能人になって目立ちたい自分がいるのに、普段は目立ちたくない自分もいた。「大きくて嫌だ」みたいな。 その頃、男子からこの体型のせいで「女として見られない」みたいなことを言われたり、嫌なことを言われたりしていました。とにかくそれが嫌で嫌で開き直れなかった。普通なら姉のお下がりを着るところを、小学生の時点で姉より大きかったので、父親のお下がりを着ておじさんみたいな格好で学校に行っていました。 中学・高校時代は、写真を撮るときなんか周りの女の子たちが私を木のように使って後ろからちょこんと顔を出して小さくかわいく見せるみたいなことをするんです。その子たちは別に悪気はないと思うんですよ。だけど、自然とそういうふうにされていたし、でっかいぬいぐるみのように思われて抱きついてくる子もいました。だから、そういう子が来たらなるべく逃げるようにした。大きいのはしょうがないから、今さら大きいことをくよくよしたって何も変わらないのに、ずっとくよくよしていました。 ――身体が大きいというコンプレックスを活かせると考えられるようになったのはいつですか? 山崎静代: 芸人になってからです。でも、芸人になった当初は自分の身体の大きさを活かすという発想がなくて。ダウンタウンさんみたいに舞台の上に立って人を笑わせたかったから、身体の大きさを活かしたネタは一切してなかったですね。 オーディションに受かるようになってきたとき、あるライブでMCのザ・プラン9のお~い!久馬さんが私のことを「平成の『Theかぼちゃワイン』やな」と言ってくれたんですね。『Theかぼちゃワイン』はめちゃくちゃ大きい女の子が主人公で、めちゃくちゃ大きいのにモテるという珍しい漫画なんです。そういうふうに例えてもらったとき、すごくうれしかったんですよね。 ――そのとき「いじられてる」とは思わなかったのですか? 山崎静代: 思わなかったですね。先輩が面白く例えてくれて、それで笑いが起こったから。私は誰かを笑わせたいと思っていて、身体が大きいことを活かして笑わせることができると分かったから、今までコンプレックスだったことが真逆に変わりました。学生のときは久馬さんみたいな人に出会えなかっただけかもしれない。 この身体じゃなければ芸人もボクシングもやってないです。すべてはこの身体の大きさありきなんやなと。 ----- 山崎静代 1979年生まれ。大阪府出身。芸人、女優。2003年、山里亮太さんと南海キャンディーズを結成。『M-1グランプリ2004』で準優勝を果たし、注目を集める。2006年出演した映画『フラガール』で、第30回日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得。2007年から始めたボクシングでは、JOC強化指定選手に選ばれ、ロンドン五輪出場を目指したことも。2021年にはYouTubeチャンネル『しずちゃんの創造と破壊チャンネル』を開設。 取材・文:姫野桂 制作協力:BitStar