J1→J3へ「ユースに参加したら雪の上」 五輪後に出場減も“直訴”…現役生活32年を貫けた理由【インタビュー】
伊東輝悦が50歳で現役引退…抜群の「適応力」で乗り切ったサッカー人生
「鉄人」がJリーグのピッチを去った。今季限りの引退を表明していたアスルクラロ沼津のMF伊東輝悦が11月24日、松本山雅FCとのJ3最終戦に途中出場。32年間の選手生活にピリオドを打った。「サッカーの街」清水で始まり、同じ静岡県の沼津で終えた32年のプロ生活。抜群の「適応力」で乗り切ってきたサッカー人生を“鉄人”伊東に聞いた。(取材・文=荻島弘一) 【写真】「50歳の体じゃない」 “現役さながらの肉体美”「腹筋割れてるの凄い」 ◇ ◇ ◇ J3最終節の11月24日、引退セレモニーのビデオメッセージに豪華な顔ぶれが揃った。西野朗氏、前園真聖氏、川口能活氏、澤登正朗氏らアトランタ五輪組や清水エスパルスの計10人にも及んだ。引退発表した10月31日には、かつて所属した清水が公式サイトで感謝のメッセージを発表。誰からも愛される伊東らしい幕引きだった。 「会見したあと、知り合いから『お前、愛されているな』と言われて、清水のメッセージを知りました。すごく、嬉しかったし、ありがたかった。でも、インスタ(インスタグラム)とか興味なくてやっていないので、どうやってお礼しようかと。めっちゃアナログだけど、地元のラジオに出演した時に言いました。伝えられて良かった」 伊東のサッカー人生を語るうえで「静岡」「清水」は外せない。小1の時に清水でサッカーを始め、清水FCや東海大一(現・東海大翔洋)で活躍。J開幕の93年に清水入りし、Jクラブを渡り歩いたのち、最後も静岡の沼津で同じ静岡出身の中山雅史監督の下で現役生活を終えた。 「清水で生まれ育ったのは大きかった。サッカーを始めたのは小1の時だけど、清水だから自然とサッカーをやっていた。そうじゃなかったら、今頃サッカーやっていなかったかもしれないし」 小学校の時から市の選抜チーム清水FCで活躍した。今は168センチの身長でサッカー選手としては小柄だが、当時は大型FW。50歳まで現役を続けられた一因として「身体の強さ」「怪我の少なさ」も挙げたが、それは小学校時代に培われたものだった。 「清水は小学校でも普通に照明施設がある。小学校のサッカー部で練習が終わってから、週2回は清水FCの練習に行く。昭和ですからね。今なら問題にされんじゃねえかとも思うけど、とにかくサッカーをやった。身体の強さは両親に感謝なのですが、今となっては小学校の練習量が良かったのかもしれませんね」 高校卒業後は、自然の流れで地元の清水入り。Jリーグ発足に合わせて作られたクラブながら当時日本リーグの強豪で活躍していた清水出身選手を集めたメンバーは超豪華で、高卒新人にチャンスは少なかった。3年目の95年には宮本正勝監督の下で定位置を掴んだが、アトランタ五輪の96年にオズワルド・アルディレス監督が就任すると、出場機会が減った。