国連事務総長が「5大国」を批判 ワガママな「ジャイアニズム」国家の行方は?
国家のジャイアニズム
さてグテーレス氏の言葉から、その「先進国」 vs 「途上国」、「西側=交換的」 vs 「東側=統制的」に対する第3の陣営論が浮かび上がる。「ワガママ国」 vs 「非ワガママ国」であるが、「ワガママ」に代わるいい言葉はないだろうかと考えていたところ「ジャイアニズム」という言葉が見つかった。これはマンガとアニメの「ドラえもん」に登場するキャラクターで、自己中心的で自分勝手ですぐに暴力に訴える、体の大きい少年の性格を意味する。つまり「ジャイアニズム国家」 vs 「非ジャイアニズム国家」である。 マンガやアニメの中のジャイアンは可愛いところもあるが、ジャイアニズム国家は可愛くない。世界の国家間の意見集約にも民主主義があるとすれば、これら5大国は決して民主的ではない。つまり民主の旗を掲げる非民主的国家であり、力ずくで世界に支配力を及ぼそうとする。力のない国は否応なくその風下に立たされる。 しかし自分勝手な乱暴者の天下は長くは続かないものだ。ジャイアンも大人になれば性格を変えざるをえない。体力よりも、知力と人間力の方が社会的な強さにつながることを学ぶからである。 国家間にもそういう力が働くのではないか。強制力のある国際機関が存在しないとはいえ、長期的には、軍事力よりも国民の知力と人間力すなわち文化力が有効なのではないか。しかも今日の科学技術の発達は、実際の戦争が相互に致命的なダメージを負い、人道にも反することによって軍事力を行使しにくくしている。また情報、交通、金融などのグローバリズムからも、人は、地球と人類に共通する価値観とルールに立脚せざるをえない状況にあることは明らかだ。
75年の振り子
日本とドイツ(イタリアも)は、G7すなわち「先進国あるいは主要国の首脳会議」のメンバーであり、かつ「5大国」から外れたすなわち「非ジャイアニズム国家」として、ある種のリーダーシップを取ることができるかもしれない。しかし重要なことは、リーダーシップということより、非ジャイアニズムの国々が国際的平等の原則による共同歩調を取ることができるかどうかである。そしてその成功の鍵は、地球と生命の保全という人類共通の目的以外には考えられない。 この第3の陣営観が、日本をして、米中間の狭間にあるというジレンマから抜け出す展望を開くかもしれない。 今世界は、第二次世界大戦後の3期目に入った。第1期は米ソ冷戦の時代であり、5大国もまたそれ以外の国も、二つの陣営に分かれて争い、その間に日本とドイツが復興を遂げた。第2期はベルリンの壁崩壊後、新興国台頭の時代であり、中でも中国が著しいパワーとして顕現した。そして第3期は米中対立の時代と思われるが、同時に、5大国のジャイアニズムを修正する時代に向かう可能性もある。日本は、米中二つの大きなパワーの衝突に目を奪われるだけでなく、そのジャイアニズムの修正に向かって、圧倒的多数の国々と力を合わせる道も残されているのだ。 国家も個人も、選択に窮したときに、思い切って視野を開くことはひとつの方策である。 戦後75年の振り子が振れ返す。「ジャイアニズム国家」から「非ジャイアニズム国家」へ。武力の時代から文化力の時代へ。