「核のまち」を受け入れたら、今後どうなる? 一歩踏み出した山口県上関町 先行する青森県に見る「なくなれば貧しかった過去に逆戻り」のジレンマ
国内の原発に保管されている使用済み核燃料は1万9000トンに上り、貯蔵場所は満杯に近づいている。山口県上関町の西哲夫町長は8月18日、仮置き場となる「中間貯蔵施設」の建設に向けた、中国電力と関西電力の調査受け入れを表明した。完成すれば、青森県むつ市に続いて国内2カ所目となる見込みだ。西町長は「あくまで調査の受け入れだ」と強調。建設を最終的に容認するには、電力会社が住民を戸別訪問して丁寧に情報提供することなど、4つの条件を挙げている。 調査受け入れの背景にあるのが、町の財政だ。上関町には元々原発建設計画があり、国から交付金が出ていたが、工事の中断で大幅に減った。中間貯蔵施設の調査が始まると、新たに交付金が得られる。財政問題に加え、町の人口も約40年前の3分の1に減った。西町長は記者会見でこう訴えた。「現実を直視する必要がある。感情論でこの町は耐えられない」 関連施設を受け入れた「核のまち」には何が起きるのか。国内初の中間貯蔵施設と、燃料を搬出する先となるはずの「再処理工場」を擁する、青森県の下北半島から未来図をひもといた。(共同通信=小林知史、清水航己、中川玲奈)
▽見果てぬ「なくならない電源」の夢 この問題を理解するためには、まず「核燃料サイクル」から説明しなくてはならない。 核燃料サイクルは①原発から出た使用済み核燃料を再処理する②取り出されたプルトニウムを高速増殖炉で使ったり、加工して再び原発で使ったりする―という仕組みだ。核燃料を繰り返し使うことで、化石燃料の乏しい日本が輸入に頼らずに電力を確保しようという狙い。中間貯蔵施設は、再処理工場が稼働するまで使用済み核燃料を一時的に保管する場所という位置づけになる。 ただ、核燃料サイクルは昭和の時代に企画され、莫大な資金を投入されながら実現しておらず、今後の見通しも不透明だ。プルトニウムを取り出す再処理工場も、使った以上のプルトニウムを生み出す原子炉「高速増殖炉」も、完成や実用化には至っていない。 ▽「明日」を生きるため売った土地に、原子力が舞い込んだ 青森県北東部の下北半島は、県内の他地域に比べても、米などの売れる作物の耕作に適さないやせた土地が多い。六ケ所村は、春から夏にかけて吹く北東の風「やませ」の影響を受け、農業は振るわなかった。不漁も続き、村民の多くが出稼ぎをしていた。高度経済成長期には石油化学コンビナート建設などの国策が浮上し、賛否が村を二分した挙げ句、人々は「明日」を生きるために自分の土地を売った。1980年代、国策が頓挫した後に舞い込んだのが原子力施設の建設計画。ある村民は当時をこう振り返る。「何で石油が原子力に変わるのか、と驚いた」