「核のまち」を受け入れたら、今後どうなる? 一歩踏み出した山口県上関町 先行する青森県に見る「なくなれば貧しかった過去に逆戻り」のジレンマ
六ケ所村で再処理工場が着工したのは1993年。ただ、前述の通り核燃料サイクルが実現していないため、使用済み核燃料の多くは県外から運び込まれながら村の施設で処理されないまま置かれている。各地の原発でも保管されており、全国的に保存容量は限界に近づく。 ▽「市はごみ捨て場ではない」 六ケ所村の北方に位置するむつ市は、財政悪化の打開策として2003年に中間貯蔵施設誘致を表明した。施設は東京電力と日本原子力発電が出資する合弁会社の運営で、両社の原発から出る使用済み燃料を一時保管することになっていた。 しかし、大手電力でつくる電気事業連合会が2020年、むつ市の施設を電力各社で共用する案を表明。関西電力が福井県の原発で出た使用済み燃料も搬入しようというのがこのときの算段だったが、むつ市側の同意がないまま内々で進められた計画に、当時の市長が「むつは核のごみ捨て場ではない」と憤慨。計画は頓挫した。
一連の経緯には青森県内の電力関係者も苦笑する。「西日本の会社が勝手に話を付けても理解を得られない。むつ市の反発も当然だ」 電力会社側からの提案を拒否した傍らで、むつ市は貯蔵される核燃料の量に合わせて課税する独自の「核燃料税」導入について、国からの同意を得た。開始から50年間で1000億円以上の税収を新たな独自財源として見込む。核燃料サイクル自体を推進する立場は電力会社と変わらない。 中間貯蔵施設に関する電力会社側の本音はこうだ。「電力は皆が使うのだから、どの地域にも受け入れてもらいたい」。これに対し、むつ市は業界の都合をはね付けながら、新たな収入源確保に道筋を付けた。市の駆け引きを痛快に受け取った青森県民が多かった影響もあってか、当時のむつ市長は今年6月の青森県知事選で当選した。 ▽反対派の住民は暮らしを諦めて去った 国策に振り回されながら、したたかに生き残りを図る自治体。そこに暮らす住民には何が起きたのか。