男色の平賀源内に「吉原遊郭ガイドブック」の序文を書かせた、蔦屋重三郎の発想力
鱗形屋孫兵衛が作った「黄表紙」というジャンル
こうして『吉原細見』の信用を取り戻した鱗形屋が、続いて発案した大ヒット商品が、「黄表紙」と呼ばれるジャンルの書籍です。先に「ペーパーバックのようなもの」と説明しましたが、現在の漫画の単行本くらいの大きさで、10ページ程度の薄い娯楽本です。 多くの挿絵が入り、だいたい3冊くらいでひとつの話が終わる分量になります(江戸後期に向かうほど長編化し、『南総里見八犬伝』など、100冊を超える大長編も現れます)。 「黄表紙」という呼び名はそのものズバリ、表紙の色からきています。それまで刊行されていた、子供向けのお伽噺などが書かれた丹色の表紙の絵本が「赤本」。歌舞伎や浄瑠璃を題材とした、青少年向けの黒い表紙の読み物を「黒本」、恋愛や遊郭ものは萌黄色の表紙で「青本」と呼んだのに対し、その後にできた成人向けの洒落本・滑稽本の表紙が黄色であったことで「黄表紙」と呼ばれるようになりました。 「黄表紙」の第一弾は、1775年に恋川春町が執筆し、挿絵も描いた『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』という作品で、大河ドラマの副題『~蔦重栄華乃夢噺~』はこの本になぞらえていると思われます。 田舎から江戸へ出てきた貧乏な青年が、一睡の夢(あわもちができあがるまでの短い時間)で江戸にありがちな成功と没落を体験する......という物語。いわずと知れた、「一炊の夢」で知られる唐の『枕中記(ちんちゅうき)』のパロディです。これが成功すると鱗形屋は、物語を戯作者の朋誠堂喜三二、挿絵を恋川春町が手がけるシリーズで、続々とヒット作を繰り出してゆくのですが......ここで振り返ってみてください。 鱗形屋はいわば、「黄表紙」という大ヒットジャンルを"発明"したわけですが、前年の1774年、蔦重は鱗形屋から編集長を頼まれ、『細見嗚呼御江戸』を出しています。ということは、蔦重は鱗形屋とマメに連絡を取り合っていたはずで、その翌年に発売された黄表紙を企画したのが蔦重であっても不思議はありません。 若き日の蔦重が「旦那、大人も楽しめる滑稽本を作りませんか? 『枕中記』の江戸版なんて、売れると思うんですけどねぇ」などと主人の孫兵衞に進言し、さらに「恋川春町先生なら、文も絵もご自身でできるから話が早い。表紙も黄色なら色褪せませんから、長く読んでもらえますよ」などと言っていたとしたら......。蔦重の活躍はとっくに始まっていたのかもしれません。
車浮代(時代小説家)