【卓球】20年前、日本の若い選手たちは皆、この選手のラケットを使っていた。憧れの「ティモ・ボル」の引退インタビュー
「『ありがとう』という感謝の声も聞こえたけれど、感謝を伝えたいのはぼくのほうだった。すべてが特別な時間だったよ」(ボル)
欧州卓球の皇帝とも称され、世界で活躍し、オリンピックで4つのメダルを獲得したティモ・ボル(ドイツ)。 2002年にヨーロッパチャンピオンとなり、2003年には世界ランキング1位に輝いた。ちょうどその頃、日本からは岸川聖也、坂本竜介、そして水谷隼という若手選手がドイツへ卓球留学をしていた。彼らはドイツで腕を磨き、日本国内の大会でも優勝を重ねるなど、日本男子卓球界の飛躍が始まったのがまさにこの時期だった。 2000年には、ティモ・ボルの名前を冠した『ティモボル・スピリット』(バタフライ)というラケットが発売され、ボルの活躍とともに世界的な大ヒット商品となった。当時、若い選手たちがこぞって使用していたが、後に「五輪金メダリスト」となった水谷隼はこう語る。「あまりに周りの選手がそればかり使っていたので、ぼくはあえて違うラケットを使っていました」。 発売中の卓球王国最新号(2025年2月号)では、ティモ・ボルのインタビューを掲載。 最後の国際大会となったパリ五輪を振り返り、彼はこう述べている。「あれはぼくのキャリアの中でも最も特別な瞬間だった。試合に負けた時、ぼくもチームメイトもガックリきて、とても悲しかった。ところが、突然、会場中の観客が『ティモ、ティモ』と声を上げ始めたんだ。『ありがとう』という感謝の声も聞こえたけれど、感謝を伝えたいのはぼくのほうだった。すべてが特別な時間だったよ」。 18歳から世界の舞台で活躍し続けたティモ・ボルは、来年44歳の春、ブンデスリーガの舞台でラケットを置く予定だ。謙虚で真摯な卓球への姿勢と、ストイックな生活が彼の長いキャリアを支えていた。その生き様を、ぜひインタビューで知ってほしい。