大久保利通から西郷隆盛へ「非義の勅命」書簡の写し、長州藩士残す…坂本龍馬から受け取り「薩長同盟」後押しか
幕末の長州再征を批判し、大久保利通が西郷隆盛に送った書簡の写しが山口県光市指定史跡「向山文庫」の所蔵品から見つかった。同様の記録は過去にも複数確認されているが、毛利家の長州藩士が残した文書は初めて。専門家は「倒幕に向けた『薩長同盟』の成立を後押ししたことがうかがえる貴重な史料」と評価している。(小林隼) 【写真】書簡の写しを所蔵していた光市の「向山文庫」
向山文庫は幕末の長州藩士・難波覃庵が明治期に建てた私設図書館。難波の子孫に当たる向山文庫の管理者が昨年8月、山口大人文学部の池田勇太准教授(日本近代史)に写しの調査を依頼していた。
池田准教授によると、大久保は盟友の西郷に宛てたこの書簡で、1865年(慶応元年)9月、幕府の求めに応じて朝廷が許した長州再征の決定に憤り、「非義の勅命は勅命にあらず」と表現した。大久保に同調した西郷は、兵を動員するため京から薩摩に帰郷。一方、西郷と親交のあった土佐出身の志士・坂本龍馬は、書簡の写しを長州藩に届けた。
今回の写しについて池田准教授は、長州藩が公式文書に採用した「黄紙」と呼ばれる黄色い紙が使われていることに注目。龍馬から書簡の写しを受け取った後に藩内でさらに筆写され、難波の主君で藩内の内部情報に触れられる立場だった毛利家の重臣・清水親春が所持していたと推測した。
大久保の書簡を巡っては、苦境に陥った長州藩をかばう内容だったことから、後の「薩長同盟」(1866年)の成立に貢献したとの見方が唱えられている。龍馬がもたらした情報が藩内に広がり、大久保がうたった「非義の勅命」は一種の流行語になったという。
池田准教授は毛利家の一族・岩国藩の吉川家にも同様の記録が残っていることを踏まえ、「書簡の写しが証拠となり、朝敵となった長州藩を勇気づけたことが裏付けられた。同盟の締結に向けて薩長が関係改善を進める一助になったとの主張を補強できる」と意義を説く。
調査の結果をまとめた池田准教授の寄稿文が今年6月、学術団体の県地方史学会(事務局・県文書館)が発行する会誌に掲載された。7月には写しを保管する光市文化センターで池田准教授が講演し、向山文庫と史料の歴史的な価値について解説した。
◆長州再征=第2次長州征討(征伐)や長州戦争、四境戦争とも呼ばれる。京の御所で起こった武力衝突・禁門の変に敗れ、朝敵となった長州藩を処分するため、幕府が諸藩に呼びかけて出兵した。戦わずに終わった1864年の「第1次」に対し、66年の「第2次」では各地で激しい戦闘が起こり、劣勢に追い込まれた幕府側が撤退した。