埼玉の「イモビール」から、世界28カ国展開のクラフトビールに変革 「COEDOビール」開発秘話、その戦略の源流とは
◆「イモビール」のイメージ脱却
――当初の「小江戸ビール」から「COEDO」にブランドを変更したのは、なぜでしょうか。 地ビールブームは終わっていたので、事業計画を練り直しました。 観光促進を目的とした地ビールではなく、高品質でバリエーション豊富な、多様な食文化に馴染む商品という位置づけでリブランディングすることにしました。 当初はサツマイモを使ったビールを作っていたため、「小江戸ビール」は「イモビール」と呼ばれていたイメージがありました。 だから、川越を連想させないほうが良いと思い、完全に名前も変える予定でした。 でも、関東圏以外の方や外国の方からすると「小江戸=川越」というイメージは少ないし、何より「コエド」という響きがかっこよくて覚えやすい。 そして、グローバル展開を考えたとき、CompanyとかCooperationのように「C」で始まる良い単語が多い気がしました。 頭文字を「C」にしてみたら無国籍な感じもしませんか? そして、これまで製造していた全商品を終売にして、デザインもすべて変え、2006年に新しいブランドとして「COEDOブルワリー」をオープンさせました。
◆衰退するビール市場、でも変えられる
――「ビールに可能性がある」とは、具体的にどんなことを考えていたのでしょうか。 ビールのコンテンツ力です。 もしかすると多くの方が「ビールは苦いもの」「ジョッキでゴクゴク飲むもの」と思われているかもしれませんが、それはごく一部です。 本来、ビールはバリエーションが豊かで、欧米では食文化の1つとして語られます。 でも、日本では1997年をピークにビール市場がどんどん衰退しています。 その理由は「嫌いになったから」ではなく、「他に選択肢ができたから」なんです。 時代とともに娯楽が増え、飲酒の機会が少なくなったこともありますし、もともと日本ではあまりメジャーではなかったワインや焼酎が市民権を得るようにもなりました。 ならば、バリエーションを増やすことで、ビール市場は再び広がる可能性があると判断しました。