池田瑛紗、菅原咲月、川﨑桜、井上和が語る「五期生の近い未来」【乃木坂46物語~次の世代を迎える前に~】
「小学1年生の終わり際、フィギュアスケートを始めたんです。家族でスケートリンクに遊びに行ったときに、自分よりちょっと年上のお姉さんが、マイシューズとマイウエア姿でカッコよく回っているのを見て憧れました。当時活躍されていた浅田真央さんの存在も大きかったです」 通い始めたスケート教室で、すぐに日々の練習にのめり込んだ。「バッジテスト」と呼ばれる昇級試験に合格していくと、もっと上のクラスに入ることができる。それをゲームのように楽しんでいた。 その後、小学4年でクラブチームに入団。毎朝4時起きで朝練を行ない、放課後もリンクに戻って練習に没頭する。そんなスケート一色の生活は、大学進学を目指して受験勉強を始めるまでの約10年間続いた。 ただ、ずっとスケート教室のように楽しんでいられたわけではない。中学校に上がると、彼女のスケート人生には苦難が続くようになる。 「自分で言うのもなんですけど、スポーツは全般的に得意なほうだったんです。でも、スケートだけは全然うまくいかなくて。周りの子たちが上達していく中、自分ひとりだけ結果を残せない期間が続きました」 国体への参加資格となる5級のバッジテストには、1年以上受からなかった。同じ試験を12回受け続け、不合格のたびに「もう無理だ」と涙を流した。 「友達とも遊べないし、結果は出ないし。毎月のように『もう投げ出したい』と思ってました。でも、本当にやめるって選択肢は考えられなくて......両親や先生にも喜んでほしかった。プロになろうという気はなかったけれど、やめるにしても『苦しくて逃げ出した』という思い出じゃなくて、『楽しかった。やりきった』という思い出にしてからやめたかったんです」 くじけることなく、ひとりでリンクに立ち向かい続けた彼女は、13回目のテストで5級に合格。フィギュアスケートをポジティブな思い出として終わらせ、大学受験へと進むことができた。 当時、目標にしていたのは「子供が心を開いてくれるような先生になりたい」と、小児科の医師。しかし、苦手な数学Ⅲが克服できず、医者になるためには避けられない理系を断念し、文系を選んだ。 「フィギュアスケートを終えた後、小児科医を目指すのも難しくて。いろいろと迷っていたその頃、ちょうど五期生オーディションの募集CMを目にしたんです。その中では、遠藤さんの加入前と現在が描かれていて。アイドルのことは全然詳しくなかったんですけど、私も遠藤さんみたいに変われるのかなって思ったらワクワクして。ひとつの選択肢として考え始めました」 〈しゃべるのが好きじゃなかった。友達も少なかった。気持ちを人前で出せなかった。でも、全然違う場所があることは知っていた。どこかに「泣き顔を見せてもいい」と思える人たちがいるんじゃないかと思っていた〉 〈私はいま、ここに立っています〉(2021年公開のオーディション告知ムービーより) くしくも同じ「さくら」という名前の先輩の言葉が胸に刺さった。孤独に闘い続けてきた彼女は、1日延長された募集締め切りの当日まで悩み、乃木坂46を目指すことを決意した。