「全力で挑みたい」 磐城選手にも吉報 /福島
夢舞台に立つ権利を再び得た。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、第92回選抜高校野球大会の中止が発表されてから3カ月。8月に甲子園での交流試合開催が発表された10日、21世紀枠で選出されていた磐城(いわき市)にも吉報が届いた。夏の甲子園も中止が決まっていただけに、ナインは「全力で挑みたい」と力を込めた。【磯貝映奈、柿沼秀行、肥沼直寛、西川拓】 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 午後5時半、同校グラウンドに集まった選手たちに、吉田強栄校長から交流試合の開催決定が伝えられた。選手たちは時折笑顔を見せ、校長や渡辺純監督、後藤浩之部長の話に耳を傾けた。同校OBの渡辺監督は「後輩たちが甲子園に行くことがうれしい。高校野球を甲子園で終われるなんて最高じゃないか。(夏の福島大会の)代替大会で勝って県で1番になって、甲子園に挑もう」と話した。岩間涼星主将(3年)は「高校野球は甲子園の舞台に立つことなく終わると思った。こういう場を設けてくださった人たちに感謝の気持ちでいっぱい。はつらつとしたプレーで日本中の人たちに元気を与えたい」と意気込みを語った。 エースの沖政宗投手(3年)は「センバツも夏の甲子園も中止となってモチベーションがなくなりかけただけに、今まで以上に頑張らないと、という気持ちになった。夢の甲子園で力以上のものを出し切って人生の記憶の一ページを残すため全力で挑みたい」と話した。3年のマネジャー、遠藤百恵さん(18)は「うれしくて感謝しかない。練習に打ち込んでいるときのみんなの表情が生き生きしていて、やっぱりみんなで野球をやるのが好きなんだと思った。甲子園ではベンチから見守って思い出の大会にしたい」と話した。 ◇憧れの舞台、最高の試合を 磐城高ナインを支えてきた人たちからも、喜びの声が上がった。 前監督の木村保さん(49)は「彼らはよく耐え忍んだ。野球の神様が遅ればせながらも、ご褒美をくれた」と喜んだ。2015年4月に監督に就任、センバツ出場決定へ導いた。今春の人事異動で同校を離れたが、夏の甲子園の中止が決まった際には、岩間涼星主将(3年)に「大好きな野球を嫌いにならないでくれ。これまでやってきたことは間違いではない」とメッセージを送るなど、ナインを思い続けてきた。木村さんは「これからも前を向いて(部訓に掲げてきた)Play Hard精神で頑張ってほしい」とエールを送った。 今年3月まで野球部部長だった大場敬介さん(31)は「あの舞台で彼らが試合をできるということが素直にうれしい。木村先生の熱い思い、今彼らを支えている監督や部長、家族のみなさんやOB全員の思いが一つになれば、磐高はこんな奇跡を起こせるんだと堂々とプレーしてきてほしい」と激励した。 3月末で定年退職した前校長の阿部武彦さん(60)は10日夕、ネットの速報で開催を知ったという。「センバツ、夏の甲子園の中止で子どもたちは心が定まらず、大変な思いをしたが、3年生が声をかけて気持ちを一つにしていた。彼らが最後に甲子園の土を踏めるのは、とてもうれしい。野球の神様が見ていてくれた」と喜んだ。 野球部後援会の鈴木幹久会長は「春、夏と中止になり、子どもたちの涙を何度も見た。甲子園で試合をする、それが彼らの夢だったから。よかった、本当によかった」と喜びをかみ締めた。野球部が練習途中に食べる米を炊いてきた食堂店主、佐々木建一さん(66)は「つらかったと思う。よく耐え抜いた。一生に一度。勝ち負けではなく、悔いのない最高の試合をしてほしい」と笑顔で話した。 いわき市民からも歓迎する声が聞かれた。同市のサービス業、野木利一さん(70)は「かわいそうだと思っていたので、うれしい。練習の成果が発揮できるよう、憧れの舞台で思い切りプレーしてほしい」。JRいわき駅近くの電気店に勤める里見勝夫さん(77)も「中止で残念だと思っていたし、泣いている生徒もいたようだから、甲子園の土を踏ませてあげられるのはいいことだ」と喜んだ。