「人形浄瑠璃文楽」の魅力とは?“最後の公演”初体験レポと竹本織太夫さんが語る「存続の危機」
【文楽の危機その1】東京での公演数が少なくなる
理由1:国立劇場(東京)が建て替え工事のため一時的になくなる 理由2:6年間は東京で公演を打つ場所が少なくなる パンフレットを見ると「さよなら公演」と銘打っていることに気が付きます。商店街で見かける怪しい閉店セールのとはわけが違います。どうやら、国立劇場が建て替えのため一時的になくなってしまうのだとか。 なんだい、だったら他の会場でやればいいじゃないかと思ったものの、もちろんその間は都内の劇場を借りて公演を打つことになります。では、なぜここまで大騒ぎになるのでしょう。 インタビューの際、織太夫さんはこういっていました。「東京の国立劇場小劇場は文楽をするには最高の音響であり、最高の見え方なんです。立地もとてもよいですし、文楽にとって最高の劇場です。私たちは実際の舞台公演で芸を磨きます。その研鑽の場がなくなってしまうんです」 ホームグラウンドがなくなることは確かに痛いでしょう。国立劇場がなくなったあとは、東京圏での活動は実質1/3になるといわれています。しかも新しい国立劇場誕生までは最短で6年と長期にわたる予定。 「国立劇場がなくなるということは、東京でのホームグラウンドを失うことになるのです」そう教えてくれたのは、先ほどの竹本織太夫さん。曾根崎心中の太夫として私の心を奪った方でもあります。
【文楽の危機その2】後継者がいない!
理由1:観客が減っている 理由2:後継者を募集したが募集ゼロ! 理由3:一人前になるまで5年以上かかる上に、新人が辞めてしまった! 文楽が抱える問題は会場だけではありません。もう1つが、後継者不足です。江戸から戦前にかけて、文楽は大阪を代表する一大エンターテインメントでした。日本経済の中心地として輝かしい繁栄を見せた大阪で、もっとも人気のあった娯楽のひとつが文楽だったのです。 「旦那衆のたしなみ事に抹茶や煎茶があるように、大阪では特に浄瑠璃がはやっていたんです。大阪市内だけで稽古場が500箇所あったといわれています。いまのカラオケボックスより多いかもしれないですよね」(織太夫さん) カラオケに匹敵するエンタメとして広く親しまれた文楽。大正時代には大阪の街に浄瑠璃の稽古本を発行する版元が2軒あり、毎年4万部売れていたといいます。文楽の公演を見に行くということは、最高の娯楽でした。竹本摂津大掾(たけもとせっつだいじょう)という明治期を代表する人気太夫が引退するときは「美空ひばりの引退に匹敵するニュースだった」とたとえる人もいるほどです。 しかし、隆盛を極めた文楽も、現在は太夫が21人まで減りました。その大きな理由は、エンタメの多様化が大きいと考えられます。 「NetflixやAmazonプライムのようなサブスクリプションでエンタメを楽しめる時代になりました。いまや若い人たちにとって、自分で劇場に足を運んで演劇を見るということがかなりハードルが高くなっているのでしょう」(織太夫さん) 観客が減ると、その道を志す若者も減ります。少子化の影響もあるでしょう。国立劇場を運営する独立行政法人「日本芸術文化振興会」は、文楽や歌舞伎、能楽など伝統芸能の後継者を育てる養成制度を設けていますが、2023年度の募集で文楽に期限までに申し込んだのは0人でした。これは募集を始めた50年前から初めての事態だそうです。 さらに、来年初舞台を予定していた研修生を含む、国立文楽劇場の研修生3人が全員やめてしまったそうです。研修期間を含めて一人前になるまで5年はかかるというので、この先5年は新人が入ってこないことになります。 同時に、世代交代の波にも直面しています。織太夫さんが文楽の道に入った頃は、偉大な名人がたくさんいたそうですが、彼らの引退とともにお客さんはゆるやかに減っていったといいます。 その理由はお客さんは文楽ではなく名人についていたから。長年培った芸を楽しみにきていたからです。そして、新しいスターがなかなか生まれない現状。芸の継承や後継者の育成がうまくいかなかったことを反省します。 「養成制度はありますが、あくまでもカリキュラムの問題で、実際は現場で舞台に立って磨かなきゃいけない。だから時間がかかるんです」 歌舞伎と異なり世襲制がない文楽は、一般家庭で育った人でも実力次第で大きく活躍できるのが特徴です。文楽で一番活躍するのが60代だと言われます。修行を始めた20代からだんだん役がついて、ある程度年功序列な世界ではあります。 自分の芸を磨くと同時に、後進を育てなくてはいけない。しかし、それが十分に機能していない現状。文楽のプリンスとして次代を担う織太夫さんが抱くのは、文楽そのものへの危機感です。 6年間以上かかるという国立劇場建て替え工事期間と後継者不足。文楽の魅力を伝えるにはどうしたらよいのか。織太夫さんの挑戦が、始まりました。 たけもとおりたゆう●人形浄瑠璃文楽 太夫。1975年生まれ。大阪市出身。大伯父は四代目鶴澤清六。祖父は二代目鶴澤道八。伯父は鶴澤清治、実弟は鶴澤清馗。1983年、8歳で豊竹咲太夫に入門。初代豊竹咲甫太夫を名乗る。1986年、10歳で国立文楽劇場小劇場にて初舞台。2018年六代目竹本織太夫を襲名。NHK E テレの『にほんごであそぼ』に2005年からレギュラー出演するなど多方面で活躍。国立劇場文楽賞文楽優秀賞等受賞歴多数。著書に『文楽のすゝめ』、『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』、『14歳からの 文楽のすゝめ』(すべて実業之日本社)など。 撮影=セドリック・ディラドリアン 取材・文=キンマサタカ 編集=鈴木彩(婦人画報編集部)