朝ドラ『虎に翼』佐田優三のモデル・和田芳夫さんの最期とは? 「戦病死」の残酷さと終戦後も続く遺族の悲しみ
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』第9週「男は度胸、女は愛嬌?」が放送中。終戦を迎えてから1年後、昭和21年(1946)が描かれている。苦しい家計を支えるべく弁護士復帰の道を模索する寅子(演:伊藤沙莉)だったが、父・直言(演:岡部たかし)が隠し持っていた死亡通知書によって、夫である優三(演:仲野太賀)が戦病死したという事実を知ってしまう。実は、寅子のモデルである三淵嘉子さんの夫も戦病死者の1人だった。 ■嘉子さんの夫・和田芳夫さんの最期 佐田優三のモデルとなっているのが、寅子のモデルである三淵嘉子さんの夫・和田芳夫さんだ。芳夫さんは嘉子さんの実家・武藤家で暮らす書生だった。嘉子さんの父・武藤貞雄さんの親友の甥にあたる。 芳夫さんは努力家で、日中は働き、夜は明治大学夜間部で学んでいた。その後東洋モスリンという紡績会社に就職している(同社は1941年に鐘淵紡績と合併)。 2人が結婚したのは昭和16年(1941)11月、太平洋戦争開戦間近のことだった。戦時下の結婚生活は決して楽なものではなかったが、仲睦まじく過ごしていたという。昭和18年(1943)には長男・芳武さんが誕生した。 ところが、幸せは長くは続かない。昭和19年(1944)、芳夫さんに召集令状が届いたが、この時は持病のこともあって徴兵されなかった。しかし、昭和20年(1945)、芳夫さんに再度召集令状が届き、今度は出征しなければならなくなった。芳夫さんは中国に送られ、そこで肋膜炎(胸膜炎/肺の外部を覆う胸膜に炎症が起こる疾患)が悪化。終戦後、やっとの思いで帰国して長崎の陸軍病院に収容されたが、昭和21年(1946)5月23日に亡くなっている。 ■過酷かつ劣悪な環境で多くの命が失われた「戦病死」 政府見解に基づけば、日中戦争・太平洋戦争で戦死した軍人・軍属は約230万人だという。全てが正確に記録されたわけでもなく、内訳も不明瞭な点が多いが、その約6割が餓死を含む戦病死者だったという説も存在する。失われた記録も数知れずといった状況のため、残念ながら正確なことはわからない。 戦病死には、餓死、凍死(低体温症)のほか、破傷風や敗血症といった戦傷に関わる感染症、そして赤痢、マラリア、チフス、結核などの感染症が挙げられる。また極度の栄養不足による脚気や壊血病も含まれる。 当時の恩給制度では、戦死(戦闘による死亡)が特別視されており、戦病死の場合はそれと同等の恩給を受けることはできなかったという。終戦後に恩給制度が改正された際にはこの区別が改められた。 「トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです。(中略)僕の大好きな、あの何かに無我夢中になっているときのトラちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること……いや、やっぱり頑張らなくていい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやりきってくれること。それが僕の望みです」と言って泣き笑いで旅立った優三の最期、その帰りを待ちわびた家族、そしてたった1枚の紙で知らされる大切な人の死……。作品はフィクションでも、その内容は決して絵空事ではない。当時多くの人々が経験した痛みであり、抱え続けた苦しみなのである。 <参考> ■田中宏巳『復員・引揚げの研究』(KADOKAWA,2015年) ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター) ■NHKドラマ・ガイド『虎に翼』(NHK出版)
歴史人編集部