クインシー・ジョーンズという功績 音楽とともに生きたその人生
音楽界の博識家と称されたクインシー・ジョーンズが、2024年11月3日、カリフォルニア州ベル・エアにある自宅で息を引き取った。91歳だった。彼はジャズ、ソウル、ファンクに留まらず、マイケル・ジャクソンのアルバム『オフ・ザ・ウォール(原題:Off the Wall)』や『スリラー(原題:Thriller)』、『バッド(原題:Bad)』といった史上最高のポップ・アルバムも世に送り出した。「11歳だった私は、これこそが自分の生きる道だと確信した。永遠にね。」と語る、生涯音楽とともに歩んだ功績を振り返る。 【写真ギャラリー】マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ、他 「私たちの父であり兄弟であるクインシー・ジョーンズが永眠したことを、謹んでお知らせします」と家族が、ジョーンズの逝去を明らかにした。「私たち家族にとっては大きな損失ではありますが、不世出の天才だった彼の素晴らしい功績を称えたいと思います。」 ジョーンズは、ポピュラー音楽のほぼ全ての分野で活躍した。トランペット奏者にはじまり、作曲家、編曲家、プロデューサー、指揮者、映画音楽家に至る70年を超えるキャリアの中で、彼はビッグバンド・ジャズ、ビバップ、ゴスペル、ブルーズ、ソウル、ファンク、クワイエット・ストームR&B、ディスコ、ロック、ラップといった幅広いジャンルの作品を生み出した。特にマイケル・ジャクソンとのコラボレーションが有名で、彼らは比類なきレベルの音楽的技巧を採り入れた史上最高のアルバムを世に送り出した。そうして新たな次元のポップスターを生み出したのだ。 マイケル・ジャクソン以前のジョーンズは既に、ジャズや60年代初頭のバブルガム・ポップ、多くの映画音楽で名を馳せていた。さらに、著名なクラシック音楽家ナディア・ブーランジェに師事し、レイ・チャールズの作品の編曲に携わったり、フランク・シナトラ・バンドの指揮も経験した。ジョーンズほど多様なキャリアを持ち、幅広い分野で活躍した音楽家は他にいないだろう。ローリングストーン誌とのインタビュー(2017年)でジョーンズは、音楽に関するクリエイティビティは生涯を通じて学んでいくものだ、と述べている。「できる限りあらゆる間違いを犯すべきだ。人はそこから学ぶことができる。私もあらゆる誤りを犯し尽くした。」 プロにしかわからないかもしれないが、ジョーンズは素晴らしい歌声を聴き分ける類稀なる耳の持ち主で、ベティ・カーター、ダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、リトル・リチャード、フランク・シナトラ、アレサ・フランクリン、ドニー・ハサウェイ、ミニー・リッパートン、アル・ジャロウ、ルーサー・ヴァンドロス、チャカ・カーン、マイケル・ジャクソン、ジェームズ・イングラム、タミアといったポップス史上最高のシンガーたちがジョーンズとのコラボレーションを望み、素晴らしい作品を残した。 ジョーンズは、コラボレーションするアーティスト向けの楽曲を、何千曲もストックされた自身のデモ作品から選定するのが常だった。そして仕上げるべき楽曲が決まると、豊富なキャリアで得たあらゆる知識と技術を駆使してレコーディングに臨んだ。「通常は、1曲に3声のバックコーラスを入れたらサウンド的に十分だ」と、80年代にマドンナの作品を作曲・プロデュースしたスティーヴン・ブレイは言う。「メロディーラインの上にコードの3度や5度のハーモニーを入れると、ゴスペル風のアプローチになる。(マイケル・ジャクソンの)“バッド(原題:Bad)”ではさらに、7度や11度の音も重なっている。素人がやるとぐちゃぐちゃなサウンドになるが、彼らは五和音を上手く使いこなしている。彼らは、過去に例のないバックコーラスを生み出した」とブレイは、ローリングストーン誌(2017年)に語っている。