クインシー・ジョーンズという功績 音楽とともに生きたその人生
マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ
マイケル・ジャクソンとは、ジョーンズ最後の映画仕事のひとつとなる『ウィズ(原題:The Wiz)』の音楽を担当したことをきっかけに、知り合いになった。同作品には、ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンが出演している。映画の制作現場で二人は親しくなり、ジャクソン5で大成功を収めてソロ・デビューを準備していたジャクソンに対して、ジョーンズがコラボレーションを持ちかけたという。当初エピック・レコードは「クインシー・ジョーンズはジャズ寄り過ぎる。彼がプロデュースしたヒット作は、ザ・ブラザーズ・ジョンソンのダンス曲しかない」という評価だった。それでもマイケル・ジャクソンはジョーンズの採用を主張し、レコード会社側が折れた。 結果、音楽史に残るパートナーシップが誕生する。ジョーンズがプロデュースした『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『バッド』の3アルバムからは、ホット100のトップ10に17曲がランクインした。その内9曲がナンバー1を獲得し、RIAAによるとアメリカだけで5000万枚以上を売り上げた。ジョーンズは一流のミュージシャンと作曲家のチームを用意して、最先端の音楽技術を採用した。結果として、驚くほどリズミカルで洗練されたヒット作が生まれた。「最も先進的な技術と従来の音楽とが見事に融合した」とスティーヴン・ブレイは分析する。 同じ頃ジョーンズは、ジョージ・ベンソンのアルバム『ギヴ・ミー・ザ・ナイト(原題:Give Me the Night)』(ファーストシングルは今なおダンスフロアの主役となっている)や、ドナ・サマーのアルバム『ドナ・サマー(原題:Donna Summer)』(「恋の魔法使い(原題:Love is in Control)」や「ステイト・オブ・インデペンデンス(原題:State of Independence)」を収録)をプロデュースし、大ヒットさせている。また彼は、ポール・サイモンからスティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパーまで、さまざまな大物アーティストが参加したチャリティ・シングル曲「ウィ・アー・ザ・ワールド(原題:We Are The World)」をプロデュースした。スーパースター同士のエゴがぶつかり合うレコーディング・セッションを、ジョーンズは何とかまとめ上げた。さらにジョーンズが自身の名義でリリースしたアルバム『愛のコリーダ(原題:The Dude)』からは、トップ40にシングル3曲がランクインした。同アルバムは、ジェームス・イングラムとパティ・オースティンの二人にとって、シンガーとしてのキャリアアップにつながった。翌1982年にジョーンズは、グラミー賞のプロデューサーオブ・ザ・イヤー(非クラシック部門)を受賞する。ジョーンズは生涯で3度のグラミー賞を獲得するが、これが初受賞だった。 アルバム『バッド』を最後に、ジョーンズとマイケル・ジャクソンは距離を置くようになった。自叙伝によると、ジャクソンの周囲では、プロデューサーとしてのジョーンズが目立ち過ぎているとの声が上がっていたという。さらにジャクソン自身も、次のアルバム『デンジャラス(原題:Dangerous)』には、よりヒップホップに馴染み深い若いプロデューサーを採用したいと考えていた。マイケル・ジャクソンとのパートナーシップを解消したジョーンズだが、プロデュースした自身のアルバム『バック・オン・ザ・ブロック(原題:Back on the Block)』からのシングル3曲が、R&B部門のナンバー1に輝いた。1996年には、ベイビーフェイス、タミア、バリー・ホワイトをフィーチャーしたシングル曲「Slow Jams」がチャート上位にランクインした。ジョーンズのプロデュース作品は、テヴィン・キャンベルやタミアといった若手のキャリアを大きく後押しした。同じ時期にジョーンズは、音楽雑誌ヴァイブ(Vibe)誌の創刊に関わった。同誌はローリングストーン誌のカウンターパートとして、黒人ミュージシャンによりスポットを当てたメディアを目指した。 ジョーンズは、音楽を「感情的な建築物」に例えたり、「私の一番嫌いなレコードは2番目、6番目、11番目のレコードだ」というように、自身の功績を魅力的かつ簡潔な言葉で表現するのを好んだ。他にも、「鳥肌を立てるような音楽を作りたい」や「曲が素晴らしければ、世界一下手な歌手でもスターになれる。逆に曲が悪ければ、世界一上手な歌手が3人集まっても救いようがない」といった発言もあった。こんな愛らしいジョークのせいでジョーンズの功績は、まるでいとも簡単に達成し、誰でも成し得るかのように思えてしまう。しかし実際に、ジョーンズに追いつける者は一人もいない。1991年にジョーンズは、グラミー・レジェンド賞を受賞した8人目のアーティストとなった。同賞は、これまでのザ・レコーディング・アカデミー史上わずか15組のアーティストにしか与えられていない栄誉だ。 近年、新たな作品の発表は減ったものの、クインシー・ジョーンズの作品は、今なお次々と多くの楽曲でサンプリングされている。2000年代に入ると彼は、ジャズ・ミュージシャンのアルフレッド・ロドリゲスやジャスティン・カウフリンといった若手アーティストのマネジメントをスタートさせた。また2017年には、ジャズ・ビデオコンテンツのオンラインライブラリーQwest TVを立ち上げた。フランスのテレビ・プロデューサーのレザ・アクバラリーが同チャンネルの開設を提案した時、ジョーンズはこの新たな取組に、生涯をかけた熱意をもって応えた(ニューヨーク・タイムズ紙)。「いいね、レッツ・ゴー!」
Elias Leight