米国初の女性大統領誕生か…「カマラ・ハリス」の知られざる《10の原点》両親は離婚、シングルマザーの家庭で育った「超絶エリート」の意外な素顔
4:大親友は白人女性
カマラは大学の推薦により、アラメダ郡地方検事局のインターンに配属される。インターン初日の説明会の参加者は大半は男子、女子はカマラと金髪のほっそりとした白人 エイミー・レズナーだけだった。 エイミーはUCバークレーの法科大学院生で、公民権運動に興味があると語り、すぐにカマラと意気投合。2人は翌日から調べ物や裁判見学、昼食を共にするようになり、深い友情を育むようになった。 2人の友情は、その後も続き、カマラはエイミーの子ども2人の名付け親となった。カマラはこの偶然の出会いを通じて、生涯の親友を得たのである。
5:司法試験でのまさかの「不合格」
大学やインターンでの学びを通して、検察官となり、弱い立場の人々を救うことを決意したカマラ。しかし、カリフォルニア州の司法試験に初めて挑戦した結果は、まさかの不合格。自信を持って試験に臨んでいただけに、そのショックは大きかった。 親友エイミーをはじめ、他のインターン生は全員合格し、すでに検事補として働き始めている。アラメダ郡地方検事局の廊下を歩くと、「なぜ彼女が落ちたのか?」というささやきが耳に入ってくる。 この失敗によってカマラは大きな挫折感と屈辱感を味わい、一時はインターンを辞めようかとまで思い詰めた。しかし、母の「わたしの娘だもの、ぜったいだいじょうぶ」という励ましの言葉を胸に、再び立ち上がる。 情報を集め、緻密な作戦を練った結果、翌年2月の司法試験に再挑戦し、見事に合格。こうしてカマラ・ハリスはアラメダ郡地方検事局に検事補として正式に採用され、念願の検察官への道への一歩を踏み出したのだ。
6:カマラを突き動かす強い信念のルーツ
新米検事補として下積みを重ね、さまざまな活躍を見せたカマラは、2003年サンフランシスコ地方検事選挙に当選。しかし、着任早々、大きな壁にぶつかる。2004年4月、サンフランシスコ市警察の巡査がパトロール中にギャングメンバーに射殺されたのだ。 事件後、警察内部や市民からは犯人への死刑を求める声が上がったが、カマラは「死刑を求めない」と明言。これにより巡査の妻や多くの警官から強い反発を受けた。しかし、ハリス氏は一貫して死刑を拒否し、最終的に犯人には終身刑が言い渡された。 この決断は、サンフランシスコ警察との間に深い対立を残した。だが、逆風にも負けず、信念を貫き、公約を守り続けたハリスは一般市民からの大きな支持を受けた。彼女の信念と冷静な訴えは多くの心を打ったのだ。 その後、ハリス氏は違法薬物売買の再犯率を減らすための活動を先導し、検事補時代から温めていた「違法薬物売買初犯者のための社会復帰プログラム」を開始。初犯者に対して高校卒業や就職の機会を与えることで、犯罪の再発防止を目指した。 このプログラムに参加した人数は少なかったものの、再犯率の低さから成果が評価された。サンフランシスコ市民に広く支持されたカマラは、2007年の選挙で無投票再選を果たした。 少女時代の「みんなに頼られる上級公務員になりたい」という夢を、着実に実現していったカマラ。だが、彼女の目標はさらに大きくなり、「カリフォルニア州の人たちのために働きたい」「カリフォルニア州の立場の弱い人たちを守りたい」と思うようになる。 検事として様々な活動をしたカマラは「弱い立場の人を守りたい」という信念をより一層強くして、カリフォルニア州司法長官選挙への挑戦を決意したのだった。