「札幌ドーム」と「日ハム新球場」の残酷な明暗 ネーミングライツの応募もなく苦戦が続く
「売り上げの大きさで言ったら、五分五分というのは納得いかない気持ちもあるんですけどね」とあるファイターズの営業担当者から聞いたことがある。 ■観客動員数は増えたが経営状況は厳しかった 札幌ドームは2002年の「FIFAワールドカップ」の開催に名乗りを上げるために建設されたが、その後の経営を安定させるために日本ハムファイターズを誘致。東京ドームでの観客動員が伸び悩む日本ハム側と利害が一致して、2004年、札幌ドームへの本拠地移転が決まった。
日本ハムは札幌ドームに移転してから、北海道を独自のフランチャイズとして開拓。東京ドーム最終年の2003年は、131.9万人だった観客動員数は、移転1年目には161.6万人と増加した。日本ハムの事例は、本拠地移転による成功例とされた。 しかしながら、経営状況は厳しかった。FA制度の導入以降、選手年俸は上昇の一途をたどった。また、ファンクラブの構築などマーケティングや営業コストもかかったからだ。 日本のプロ野球は、1954年の「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という国税庁通達によって、プロ野球チームが出した赤字を親会社が補填した場合は「広告宣伝費」扱いとなって税制的に優遇されていた。しかし、それでも人気のないパ・リーグチームの経営は厳しかった。
おりしもこの2004年に起こった「球界再編」騒動は、赤字に苦しむ近鉄がオリックスと合併するなどして、2リーグ12球団を1リーグ10球団にするという経営側の意向に端を発している。プロ野球選手会のストライキなどで、経営者の意図は挫かれ、楽天の新規参入もあって、2リーグ12球団は維持された。 ■指定管理者制度を最初に活用したマリーンズ しかしこの時期から特にパ・リーグで経営改革が次々と行われるようになる。リピーターを増やすためのファンクラブの改革や、ネットでのチケット販売、応援団の再編などもそうだが、最大のものが球団の「指定管理者」への移行だった。