鹿児島大空襲で犠牲になった教え子を火葬<誰ガ夢想セシコトアリヤ>…学校日誌が訴える「戦争の悲惨さ」
太平洋戦争に関して地域で行われた訓練の様子や空襲による被害などを調査するために、学校での日々の出来事を記した学校日誌を活用する取り組みが進んでいる。空襲で生徒を失った教職員の心情なども書き残され、戦争の悲惨さを伝える資料として見直されている。(池田圭太、井上公史) 【写真】鹿児島市立女子興業学校での出来事を記録した日誌
<防空演習第六日、校庭ニ於テ焼夷彈ノ発火ノ實際ヲ全校児童及ビ町民一般見學ス>
大分県日出町立日出小に保管されていた日出尋常高等小学校時代の日誌には、開戦前の1938年、焼夷弾による火災を想定した避難訓練が行われたことが記されている。
3年ほど前、町教育委員会社会教育課の中尾征司・文化財係長(48)が日出城跡に関する調査の中で、日出小にあった日誌に初めて目を通した。残されていた日誌には、戦争に関して、出征する兵士を駅で見送ったり、戦死した兵士の慰霊祭が運動場で営まれたりしたことも記されていたという。
「残していくべき記録だ」。中尾係長から保存の相談を受けた町歴史資料館長が教育長に提案。学校教育法の施行規則で義務付けられている日誌の保存期間は5年だが、町教委は今年度、町立小中学校の日誌を永年保存することを決めた。
町教委は2018年度までの計約450冊を同館に移し、収蔵庫に保管する作業を行っている。戦後80年となる来年には、戦争関連の記録を紹介する企画展を開くことも検討している。
鹿児島市立鹿児島女子高では、前身となる市立女子興業学校の日誌に、生徒13人が犠牲になった1945年6月17日の鹿児島大空襲の状況などが記されており、市教委が調査を進めている。
同日の日誌は<午後十一時十分頃麑市未曾有ノ大空襲アリ>と始まり、防空要員として宿泊していた生徒54人について、<十名ニ余ル死傷者ヲ出セシ(中略)遺憾ナリキ>と記述。その後、材木を集めて遺体を火葬したことも記され、<誰ガ教児ノ自ラナル火葬ヲ夢想セシコトアリヤ>と深い悲しみがつづられている。