駒込は江戸時代から風情たっぷりの「花の駅」
豊島区に五つある山手線駅
豊島区内には山手線の駅が五つある。「五つも」と言うべきかもしれない。目白・池袋・大塚・巣鴨、そして駒込駅である。30駅ある山手線で、同じ区内に五つ駅があるのは最も多いパターンなのだが、同様の区はもうひとつある。どこだろう――港区である。新橋・浜松町・田町・高輪ゲートウェイと品川の各駅。品川駅が品川区にないことは以前に書いた。 これぞ「大阪の情」やわ! 元禄時代から続く人形浄瑠璃文楽に浸る 次いで区内に山手線駅が四つあるのは、千代田区と渋谷区だ。駅名は思い浮かべてほしい。逆にひとつしかないのは、田端駅のみが所在する北区である。さらに、区内を山手線が一瞬通過しているにもかかわらず、駅がひとつもない残念な区は、中央・目黒・文京の各区だ。城南や城西・城東の区にはそもそも山手線が通っていないから、この土俵にはあがれない。 板橋区は現在の山手線とは無縁だが、原型である日本鉄道「品川線」の北寄り、つまりいまの赤羽線(埼京線)にまで目を配れば、区内に板橋駅がある。十条駅と赤羽駅は北区だ。 5駅を擁する豊島区は、池袋で東に向きを変えた線路が区の東半分を横断するようにルートがとられたから、駅数が多くなった。港区のほうは、かつての海岸線に沿って線路が敷かれているが、高輪ゲートウェイ駅の新規開業で区内5駅の仲間入りをしたのである。いずれにしても、この2区で山手線全駅の3分の1を占める。 さて、駒込駅である。開業は1910(明治43)年11月15日で、池袋-田端間を結んだ「豊島線」の開通から7年半遅れての「店びらき」だった。半年余り前の同年4月1日には、池袋と田端のあいだの複線化が完成していたから、そのタイミングで新たに駅を設置したものと考えられる。豊島区内の山手線駅のなかでは、最も歴史が新しい。 「駒込」の地名は戦国時代から見られ、江戸期に上駒込村と下駒込村の2村に分かれたという。明治以降、上駒込村は北豊島郡に所属。一方の下駒込村は本郷区に編入されたため、「駒込」エリアが現在の豊島区と文京区に分断されてしまった。駅の所在地は豊島区駒込二丁目だが、歩いてすぐの「六義園(りくぎえん)」は文京区本駒込六丁目と、こちらは「本駒込」を名乗っている。本駒込の「本」は本郷区の「本」から採られたようだ。