駒込は江戸時代から風情たっぷりの「花の駅」
ツツジとソメイヨシノの里
巣鴨駅から駒込駅までは、ずっと切通しのなかをレールが走っており、そのため駒込駅の構造も、1面2線のホームからエスカレーターや階段を上がって駅舎に至る橋上駅の体裁である。改札を出て正面に広い通り(本郷通り)を目にするのが北口、改札口から左へ折れて、線路を跨(また)いでホテルメッツの建物をぬけ地下鉄南北線やバスの乗り場前へ出るのが南口だ。 本郷通りは文京区の東大前付近で白山通り(中山道)から分かれて北上する間道だ。江戸時代は将軍家の日光社参に使われた御成り道で、この先、埼玉県の幸手宿で日光街道に合流している。つまり駒込駅もまた、渋谷駅の大山道や新宿駅の甲州街道、巣鴨駅の中山道などと同じく、“日光裏街道”との交点に設けられたのである。 ホーム巣鴨寄りの左右の土手にはツツジの木が植えられている。4~5月ごろの花どきともなれば、鮮やかな色彩が電車待ちの人々の目を楽しませてくれるのだけれど、いまは丹精して刈り込まれた低木に盛りの華麗さを思い浮かべるばかりだ。 巣鴨駅の稿でも触れたが、巣鴨から駒込にかけて広がっていた旧染井村の、現在の染井通り沿いには江戸時代に植木職人が数多く集まり、それぞれが大名屋敷の庭木の手入れなどを仰せつかっていた。やがて職人たちは花木の栽培から品種改良にも取り組むようになり、最盛期には十数軒の植木屋が、鉢や庭木を展示して客に売りさばいていたといわれる。 職人のなかでも、江戸の園芸史を語るうえで欠かせない、とびぬけた存在だったのが伊藤伊兵衛(1676-1757年)だ。とりわけ三代目を継いだ三之烝(さんのじょう)は、「きりしま屋伊兵衛」と号し、ツツジ・さつきの栽培で名を馳せた。例の土手際に咲くツツジも、そんな伝統を引き継いで、駅開業翌年の1911(明治44)年に地元の植木屋が100株を植樹したのが始まりであった。 一方、駅の発車メロディは唱歌「さくら」の旋律である。いまや花見の主役となったソメイヨシノも、当地で既存の桜木の交配により生まれ、いわば“ソメイヨシノ発祥の地”であることから、この曲が選ばれているのだ。雅やかな曲だけれど、さすがに速いテンポにアレンジされ、しかもほとんどの車掌は「♫霞か雲か…」のあたりでスイッチを切ってしまう。山手線のダイヤに、歌を最後まで楽しむ余裕はないようだ。