「衝撃のアウトドア本」発掘レビュー! STRANGE OUTDOORE BOOK vol.08『無人島、不食130日』
食べることでむしろ不食が見えてくる
毒云々はさておき、「不食」と謳っておきながら、ちょいちょい食べていることの是非に話を戻す。ぼくが感心したのは、次のような記述だ。 〈不食を期待している方はがっかりされただろうか。/何も食べないということをどうやって描けばいいだろう。/ある意味、それは食べることを通してしか描けないのではないかということに、無人島から帰ったこの今になって気づかされた。/無人島で完全に不食で過ごしたならば、不食は見えてこない。〉 これ、伝わりますかね? 以前、ある人が言った言葉を思い出す。「究極の孤独はどこにある?」という問いに対して、究極の孤独は何も存在しない場所、自分すら存在しないところにしかない。でも、自分がいなければ孤独を感じ取ることもできない。周囲にたくさんの他者がいるからこそ、人は孤独を感じてしまうのだと。 「完全に不食で過ごしたならば、不食は見えてこない」という言葉からは、それと同じ匂いが感じられる。わずかでも何かを食べることで、むしろ不食という行為が炙り出されるのである。 最初はぼくも疑いの気持ちで読み始めて(読み終えたいまも不食を信じてはいない)、言ってることはオカルトの域を出ないし、怪しげな宗教の匂いすら感じていたが、上記の引用部は食べることを正当化するのとは違う。著者は言うほど奇人でもなく、案外と冷静な視点を持った人物であるという印象を抱いた。 「植物に光合成ができるなら人間にもできる」 「毒は食べても平気だ」 「尿療法はあらゆる病気に効く」 「不食で死ぬなどということはありえない」 いちいち言うことが極端なので笑われてしまうかもしれないが、不食芸の人だと思えば腹も立たないだろう。手品師に向かって「ハトが消えるはずがない!」と怒る人はいないし、ユリ・ゲラーに「最初から曲がってたんじゃないのか!」などと言うのは野暮ってものだ。 最後の著者近影を見て、ぼくの心のモヤモヤは南の島の空のようにスパーンと晴れてしまった。山田くん、そのうちわも捨てちゃいなさい!
とみさわ昭仁