柴犬のルーツに出会う旅(1)絶滅した石州犬『石』 故郷で再び注目
「柴の祖犬」から地方創生の希望の星に
「柴は世界的にも人気だし、国の天然記念物だし、日本の文化です。『石』にまつわる話が本当で、石州犬や山陰柴が有名になれば、山陰が世界から注目される!と思いました」。それからというもの、地元で聞き取り調査をするばかりではなく、国会図書館に出向いて資料を漁ったり、東京で中村鶴吉さんの足跡を探したりと、『石』一色の日々。調査の過程で知り合った柳尾支部長を通じて『石』の生家を特定し、飼い主だった下山信市さんの孫を探し当てて、中村鶴吉氏の親族も見つけた。そんな1年半余りの調査の結果、系統図の頂点に立つ『石』は、間違いなく石見の山奥で暮らしていた石州犬で、柴の祖犬であるというリアルなストーリーの輪郭が見えてきた。 まだまだ不明なこと、やりたいことは山のようにある。河部さんは「石州犬研究室」を立ち上げ、同研究室のホームページと地元ケーブルテレビの番組で研究成果を発表し続けている。そのモチベーションは、愛犬家としてのマニアックな興味以上に、石見地方から山陰全体、ひいては日本の象徴である柴犬の情報を世界に発信したいという思いに支えられている。
展覧会場のイベントでは、河部さんの作詞、ご主人の作曲で『石』のことを歌ったオリジナル曲『石州犬ISHI』が発表された。ご主人のボーカルで、河部さんとケーブルテレビのパーソナリティー、そしてご主人の職場の女性が振り付けを披露。下山信市さんの孫である博之さんもステージに上がり、揃いの「We love ISHI」のTシャツを着て、『石』の漢字を表現した「石のポーズ」を来場者とともに決めた。 こうしたPRの成果は少しずつ上がっており、『石』のことが地元紙など一般メディアに取り上げられる機会も増えている。柴犬のルーツをめぐるストーリーは、単に愛犬家だけの関心事ではなくなってきているのは間違いない。『石』は、80年の時を経て、過疎化にあえぐ地方の希望の星になったのだ。 ※次回は、河部さんらの調査の成果や実際に石州犬と暮らしたことのある柳尾支部長のインタビューを通じて、石州犬石号の物語のディティールに迫っていく。
----------------------------------------------- ■内村コースケ(うちむら・こうすけ) 1970年生まれ。子供時代をビルマ(現ミャンマー)、カナダ、イギリスで過ごし、早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞(東京新聞)で記者とカメラマンをそれぞれ経験。フリーに転身後、愛犬と共に東京から八ヶ岳山麓に移住。「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、「犬」「田舎暮らし」「帰国子女」などをテーマに活動中