柴犬のルーツに出会う旅(1)絶滅した石州犬『石』 故郷で再び注目
絶滅した地犬が「現在の柴犬」のルーツ
「柴」には「小さい」という意味があり、かつては柴犬と言えば小型の日本犬全般を指していた。戦後間もない頃までは、地域ごとの特徴を備えた「地犬(じいぬ)」が全国各地にいて、もともとはその中の小型犬の総称として、古くから「柴犬」という呼称があったわけだ。『石』以降の系統は、それが統一され、近代的なスタンダードな犬種に生まれ変わった「柴犬」である。つまり、本稿で語る「柴犬のルーツ」は、『石』が後者の「現在の柴犬」の祖犬であるという事実に基づいている。
石州犬も小型の地犬の一つで、現在の柴よりも若干大きく、丸顔(タヌキ顔)で、毛は固く色は赤。今の柴に比べて泥臭い風貌だったという。日本犬保存会が公式に認める系統図の頂点に、その一頭である『石』がいる。相手のメスは四国産の地犬の黒柴(現在の中型の四国犬とは別)『コロ』である。その子供の『アカ』が、今で言う「柴犬」の第1号。その子孫が信州(長野県)に移入されて盛んに繁殖が行われ、「中興の祖」と言われる『中(なか)』を筆頭に、戦後の柴の血統を決定づけた(=信州柴)。つまり、源流を辿れば、今の柴は石見地方と四国の地犬をかけ合わせた末に信州で発展した“全国統一犬種”ということになる。 地犬は、今ではほとんど残っていない。多くが戦中から戦後にかけて、食料難や犬の感染症であるジステンパーの流行により絶滅または絶滅の危機に瀕した。石州犬もまた、第2次世界大戦後しばらくして絶滅してしまった。「私たちの地元でも、当時の柴犬、つまり石見犬(=石州犬)は第1次世界大戦、第2次世界大戦を挟んで激減してしまいました」と、幼い頃に生家で石州犬を飼っていた柳尾支部長は言う。
地元出身の愛犬家が東京に連れ帰る
そうした時代に、日本犬の血脈を守ろうと優秀な石州犬を見つけては「山出し」をした人物がいた。その中村鶴吉さんこそが、『石』を柴犬の祖犬に仕立て上げた張本人である。中村さんは、石見地方の島根県浜田市の出身。東京で歯科医をしていた愛犬家で、日本犬保存会の展覧会にも数多く出陳していた記録が残っている。 中村さんが特に熱意を燃やしていたのが、地元の優秀な地犬を交配・繁殖のために東京に連れ帰るいわゆる山出しだ。石州犬も他の地犬同様、ウサギやイノシシの猟犬として奥深い山村で多く飼われていたが、中村さんは交通機関が発達していない時代に、徒歩で石見地方の山村をくまなく探査し、多くの石州犬を山出ししたことが文献などから伝わっている。そうすることで日本犬の血統を守ろうとしたのだ。