柴犬のルーツに出会う旅(1)絶滅した石州犬『石』 故郷で再び注目
そのうちの1頭が『石』だ。1936(昭和11)年5月、5歳の時に山出しされたと言われる。当時の飼い主は二川(ふたかわ)村(現・益田市美都町)の下山信市さんという猟師。詳細な経緯は不明だが、恐らくは中村鶴吉さんが村を訪れた際に『石』に惚れ込み、下山さんに頼み込んで何らかの報酬と交換に譲ってもらったのだろう。中村さんは、『石』を東京に連れ帰るとすぐに第三者に譲った。四国産の地犬コロと交配したのは2年後の1938(昭和13)年11月のこと。ちなみに、下山信市さんは、『石』を手放した数か月後に36歳の若さで亡くなっている。
地域振興のエキスパートが「再発見」
柴の祖犬が『石』であることは、日本犬保存会が作成した系統図から分かっていたことだが、こうした「祖犬・石号」にまつわるエピソードの詳細にあらためてスポットが当たったのは、ごく最近のことだ。日本犬保存会島根支部の第100回展会場では、そんな『石』と柴犬の歴史を紹介する記念イベントが行われたが、そのプレゼンターを務めた河部(かわべ)真弓さん(60)の調査が「石号再発見」のきっかけとなった。 石見地方の一角にある島根県江津市在住の河部さんの本職は、地域振興を専門とするプランナー。県立大学に勤めるご主人の出身地の島根県に、東京から1999年に移住した。イベント会場でその河部さんを訪ねると、傍らに一般的な柴よりもほっそりとしたキツネ顔の日本犬がいた。「この子は『山陰柴』です。お隣の鳥取県を中心とした地犬で、絶滅寸前の状態から有志の皆さんの努力で数を増やし、現在は430頭います」と、河部さんは快活な口調で、山陰をもじって『サニー』と名付けた1歳のメスの愛犬を紹介してくれた。
河部さんにとって、このサニーとの出会いが、石州犬の研究を始めるきっかけになった。一昨年の12月にサニーを迎えた際、山陰柴に石州犬の血も入っていると聞き、さらに『石』が柴の祖犬であることを知った。地域振興のプランナーと言えば、いわば町おこしの仕掛け人である。自らを「地域振興バカ」と呼ぶ河部さんは、島根県に移住して以来、県内の名所、名物、歴史、人物などをくまなく調査してきた。それにも関わらず、石州犬や『石』のことは一度も聞いたことがなかった。あらためて周囲の人に聞いても、誰も知らなかったという。