柴犬のルーツに出会う旅(1)絶滅した石州犬『石』 故郷で再び注目
日本犬と言えば、ほとんどの人は尻尾がクルッと巻いたつぶらな瞳の「柴犬」をイメージするに違いない。国の天然記念物であると同時に、国内の犬種別登録頭数は5位(1万1829頭=2017年現在)と、我々の生活に溶け込んだ存在だ。世界の代表的な犬種の中でもその遺伝子はオオカミに近いと言われ、野性味と愛らしさが同居した柴の人気は、世界中で高まっている。 【写真】柴犬のルーツに出会う旅(2)系統図の頂点に立つ「強運の犬」 その柴の系統図の頂点に立つ“伝説の犬”の存在をご存知だろうか? 島根県西部・石見(いわみ)地方の地犬である「石州(せきしゅう)犬」の石(いし)号だ。 これまで、柴の祖犬が『石』であることは、日本犬の保存に携わる関係者の間では知られていたが、一般にはほとんど周知されていなかった。その「知る人ぞ知る事実」が、最近、地元研究者らの手で発掘されている。それを聞いて、長年犬に関する取材を重ねている筆者は、いても立ってもいられず、日本犬のルーツを再発見する旅に出た。その記録を、3回にわたってお届けする。 第1回では、石号の故郷、島根県益田市で行われた日本犬展覧会の様子をお伝えしながら、柴犬の系統を紐解いていく。
石号の故郷・島根県で100回記念展覧会
「石号の生家の発見、島根支部100回展、戌(いぬ)年。いろいろ重なりましたね。今島根に行かない手はないですよ」。全国各地で開催されている日本犬展覧会(=ドッグショー)の取材を通じて知り合った柴犬のブリーダーが言った。『石』の生家は、石見地方の中心都市の一つ、益田市の山村にある。そして、その石号の故郷・益田市で今年9月23日、日本犬保存会島根支部の第100回記念展覧会が開かれた。
日本犬保存会は、柴犬、秋田犬、紀州犬などの日本固有の犬種の血統を守るために活動する公益社団法人で、全国の支部で優秀な血統を守ることを目的とした展覧会を開いている。ブリーダーや愛好家が自慢の犬を持ち寄り、保存会が定めた基準のもと、外観や性格の優劣を競う。展覧会での入賞歴が種犬としてのステータスにもなるため、優秀な血統を継ぐためにも欠かせないイベントとなっている。 島根支部の展覧会は、現在は春秋に年2回行っている。第1回の開催年ははっきりしないが、第7回展から参加している柳尾敦男支部長(80)は、「昭和35(1960)年ごろじゃないでしょうか」と言う。今回は県内だけでなく、中国、九州、関西、関東からも計103頭の小型犬(柴)と中型犬が参加した。 日本犬保存会は1928(昭和3)年に設立され、第1回全国展はその4年後の1932年に開かれている。1934年には小型・中型・大型の3型に分類して保存する方法を取り、国も6種の日本犬をそれぞれ、1931年から1937年にかけて「日本に特有な畜養動物」として天然記念物に指定した(柴犬の指定は1936年)。つまり、日本犬に「純血種」という概念が出来上がり、その繁殖と保存が本格化したのは、第2次世界大戦を挟んだ激動期ということになる。この流れに沿って柴犬がほぼ現在の形に固定されたのは、戦後になってからだと言えよう。