【パリ五輪が見せる“新しさ”】開会式、競技会場で古い物を惜しみなく活用、都市開発のバネとしての役割も
パリのメトロ(地下鉄)は有名だが、エスカレーターやエレベーターは完備していない。市内の道路の歩車道段差は解消されていない。これらはどうするのかとパリ五輪組織委員会のスタッフに質問すると、「五輪会場内に入ればバリアフリー化されているから大丈夫」と言って気にしていないようだ。
選手村から見える〝国民性〟
数十の中層建築からなる選手村はパリ市北部地域に建設した。ベッド数合計は約1万4200。レストラン棟は、かつて電力会社が発電所として使用していた巨大な建物を再利用する。 脱炭素の象徴として木材を多用している。選手村の各棟にはエアコンは設置せず、脱炭素のため、地下70メートル(m)から汲み上げる摂氏14度の冷水による床冷房としている。同じく脱炭素のため一帯に大量の樹木を植栽する。 報道によると選手村の食材や食事の量が十分ではなく、英国は本国からシェフを呼んだということだが、完璧を期さないところに日本人との気質の違いを感じる。エアコンがないことに不安を訴える国もあるようだがこれについてもパリ五輪組織委員会が意に介する気配はない。 水泳の池江璃花子選手がラデファンス・アリーナに作られた仮設プールの水深が2.2メートル(m)と浅いのに最初違和感を覚えたことが報じられていた。日本は国際標準の3mとすべくプールを新設したのだった。フランス人の周囲に合わせない姿勢には学ぶべきだったか。 パリの交通渋滞はかなりひどいときもある。これをどうするのか聞くと、「五輪期間中はパリから脱出するように市民に勧めているから大丈夫だろう」と答えた。メトロの運賃が期間中は高く設定されたのは報道のとおりである。
結果として余計な経費はかけない。五輪施設全体として予算に比べて実際の支出が少なく済んだと組織委員会のスタッフは胸を張った。そのためか市民の間に積極的な五輪反対論は聞かれなかったとスタッフたちは言っている。
選手村を北側につくった理由
一方、グラン・パリ(パリ大都市圏)計画の具体化のためのインフラ整備など金をかけるべきところにはかけている。この計画を始めたのはサルコジ大統領で、2010年に法制化し、パリ大都市圏の公共交通ネットワーク整備、住宅の大量建設、域内に10カ所の経済・科学拠点をつくると決めた。 15年には、その範囲がパリ市に加えオー=ド=セーヌ県、セーヌ=サン=ドニ県、ヴァル=ド=マルヌ県というパリ市隣接3県とさらにその外側の各コミューン(基礎自治体)を含むと決められた。当時の人口で約700万人という規模である。 最初に開発が進んだのはパリ市の西部で、セーヌのセガン島のルノー工場跡地に日本の建築家の坂茂(ばん・しげる)氏が設計したラ・セーヌ・ミュージカルが建てられ、その周辺に中高層マンションが多数つくられた。この地区はそれ以前に開発が進んだラ・デファンスの外側にあたる。 今回の24年五輪にあたっては、パリ市北部地域一帯のインフラを整備してパリの大都市としての発展をはかろうとする都市構造的なねらいがあった。だから選手村も北部につくった。 近年北部地域には住宅を整備してきたので、これからこの地域に必要なのは雇用であるという考え方で、選手村の建物の再利用はなるべくオフィス機能を導入すると組織委員会は言っている。組織委員会事務局の建物も北部地域に新たに建築したビルで、五輪終了後はオフィスとして一般使用に供用し地域の雇用創出に貢献することをねらっている。 北部地域一帯のインフラ整備の中核をなすのがグラン・パリ計画に基づく13、14、15,16号線等新設メトロ路線による交通ネットワーク整備の結節点をなすサンドニ駅舎の建築である。 新サンドニ駅のデザイン監修は日本の隈研吾建築設計事務所が行った。駅舎はヴォージュの森から伐りだした木材を多用して北部地域の象徴としてのサンドニ駅を演出しようとしている。まだすべてが完成したわけではないが完成後の新サンドニ駅はパリで最大乗降客数の駅となるという。