「人体損壊描写は、物語のために必要」『ソウX』監督が問いかける、“肉体の本質”というテーマ
デスゲーム・スリラーの大ブームを引き起こした『ソウ』(04)から20年。10作目となる「ソウ」シリーズの最新作『ソウX』(公開中)が公開となった。本作で監督を務めたケヴィン・グルタートはシリーズの1作目から編集を務め、『ソウ6』(09)、『ソウ ザ・ファイナル 3D』(10)では監督を担当。その後もシリーズ全作になんらかの形で関わりを持ってきた、いわば「ソウ」ワールドを知り尽くした人物だ。PRESS HORRORでは、そんな彼が新作に込めたものを探るためインタビューを敢行した。 【写真を見る】閲覧注意…新たな死のゲームは、目玉を吸いだす!? ■「ジグソウが凶行におよぶことを回避できた、そういう世界もあり得た」 本作で描かれるのは、1作目と2作目のあいだに起こった出来事で、天才殺人鬼ジグソウこと、ジョン・クレイマー(トビン・ベル)がまだ生きていたころの物語。謎の多いキャラクターだったジョンを初めて物語の中心に置き、そのドラマを語るという点で新鮮な驚きが宿る。もちろん、ジョンが仕掛ける凝りに凝ったトラップの鮮烈さは健在だ。 末期ガンに冒されたジョンは画期的な治療を求めてメキシコに飛ぶが、その治療は高額な医療費を奪う詐欺に過ぎなかった。大金も希望も奪われたジョンは、この詐欺に加担した人々を拘束し、“ゲーム”を仕掛ける…。以上が『ソウX』のざっくりとしたあらすじだ。劇中にはガンが完治したと思い込んだジョンが、トラップをデザインしたノートを破り捨てる描写がある。つまり、ジョンが本当に完治していたら2作目以降の凶行は存在しなかったかもしれないのだ。「僕もそう思います。そういう風に感じてほしくて演出したシーンです。スタッフのなかにはこのシーンを入れることに納得していない人もいたけれど、僕にとっては重要なシーンだった。残酷なゲームを回避することをできたかもしれない、そういう世界もあり得たことを想像してほしかったんです」とグルタート監督は語る。ジグソウの人間像にふれるドラマの妙の一端だ。 しかし、彼の怒りによって新たな“ゲーム”は開始される。人体の損壊を免れない恐ろしいトラップは、今回も大きな見どころだ。毎回よく考えつくものだと感心させられるし、拷問の専門家がアドバイザーになっているのでは?とまで思ってしまう。それについて尋ねると「メキシコの撮影に参加したスタッフにも、“トラップを考える専門家がいるのか?”と訊かれたけれど、そんなことはありませんよ。毎回スタッフ間で話し合いをしてアイデアを練るんです」との答えが。「トラップの創作にはいくつかルールがある。まず、いままでの繰り返しであってはならない。また、これはジグソウのゲームの特徴だけれど、常に生き延びる可能性があるもの。そしてゲームを強いられるキャラクターの短所を反映したものであることです」。 本作のなかだけでもさまざまなトラップが用意されており、宙吊り状態で放射線を浴びせられるような、大掛かりで手の込んだものもある。「トラップを考えついても、実際に撮れるのか?という問題はある。そういう意味で、『ソウ』シリーズの撮影はテクニカルな側面が大きく、撮影や美術、特殊メイクなどのスタッフと密にコラボレートしていかないといけない。トラップの場面はその点でもっとも時間も手間もかかるので、撮影の後半に撮りました」とのこと。観客を驚嘆させるバイオレントな見せ場の裏側には、作り手の苦心と工夫が秘められているのだ。 ■「肉体の本質を感じさせるゴア描写が、『ソウ』の世界では重要です」 「ソウ」シリーズは露骨な人体損壊描写が多いため、しばしば“拷問(トーチャー)ポルノ”と乱暴に評されることがある。しかし、そんなに単純に表現できる作品ではない。「拷問ポルノという言葉は、僕らにしてみれば好きな表現ではないけれど、一方ではそう言われることに慣れてしまった部分もありますね。ただ、『ソウ』シリーズにおけるゴアシーンは、先にも述べたように技術的にも美術的にも、創るうえでとてつもない労力を要する。なぜそうまでしてやるかというと、正しくゴアシーンを見せることができれば、それはストーリーのうえで大切なものになるからです」 「人間の身体は結局のところ骨と肉でできているし、寿命が90年とすれば、その間にさまざまな危険にさらされる可能性がある。そのような肉体の本質というものを、ゴア描写を通じて感じさせることが『ソウ』の世界では重要です。たとえば本作では、女性のキャラクターが生きるために自分の脚を切断する。これは生きたいと思う人間らしい行為であり、観客も目をそらせない。そこにはキャラクターに対する共感があります。ギリシャ悲劇もそうですが、これはある種のカタルシスですね。そしてそれは人間とはどういう生き物なのか?死とはなんなのか?という問いにもつながっているんです」とグルタート監督は熱弁を振るう。 また、彼が初めて監督を務めた『ソウ6』は、医療保険の問題という社会意識の強い作品だった。『ソウX』では、そこまでは社会性が強くないにしても、高額医療費や格差の問題が取り込まれている。「『ソウ6』を製作している段階では医療保険の問題はまだ騒がれていませんでしたが、それが取りざたされるようになったころに全米公開されたので、『政治的過ぎる』と非難されたこともありました。『ソウX』に関しては、そこまで社会問題を深く掘り下げたつもりはないですね。というのも、医師という存在を悪者に見せたくないという思いがあったからです」と監督は説明する。映画が現代を映す鏡である以上、作り手の社会意識はおのずと反映されるものなのかもしれない。 ■「シーンが必要か不必要かを判断できるのは、編集の経験があるからだと思います」 編集スタッフから監督に転身したグルタートだが、編集のキャリアは演出の点でどう生かされるのか。その点を尋ねると、「どちらもストーリーテリングという点では共通する仕事ですね。シーンが必要か不必要かを的確に判断できるのは、編集の経験があるからだと思います」との答えが。しかし、言うまでもなく監督の仕事量は編集者よりも大きい。「欲しい映像がわかっていても、そのために必要な演技の引きだし方や画の作り方は、監督の仕事をするまでわかりませんでした。それにスタッフや俳優とのコミュニケーションも重要です。編集の仕事をしている時は、編集室にこもって1人で仕事をしていたから、その点はまったく異なりますね」。 グルタート監督は「ソウ」シリーズが自身の代表作であることを自負しており、当然1作目の『ソウ』に誇りを持っている。「1作目は超低予算だったし、つくっている段階では劇場で公開されるかどうかもわからなかった。そこからシリーズ化され、編集の仕事を続けていくうちに撮影現場にも出入りするようになりました。そうしているうちにスタッフの知り合いも増え、4、5作目では第二班の監督を任されたんです。そういう意味で、6作目で監督になった時は、恵まれた環境にいたと思います。もしもほかの作品で監督デビューしたとしたら、あんなに良い環境ではなかったでしょう。シリーズのチームには本当に感謝しています」とシリーズへの愛を語ってくれた。そういう意味では、『ソウ』シリーズは彼を映画人として育て上げた作品と言えるかもしれない。 『ソウX』は北米市場でヒットを飛ばすばかりか評価も高く、映画批評を集積・集計するサイト「ロッテン・トマト」の調べでは、好意的な批評の割合はシリーズ中最高をマーク。となると、次の11作目も期待されるところだ。「いまはまだ話せないんです。ただ、製作のライオンズゲートや主演のトビンとの話し合いは進んでいるし、僕自身早く作りたいと思っていますよ」とのことだが、こんなリップサービスも飛びだした。 「ガンの治療法が発見された日本をジョンが訪れるという物語もおもしろそうですね(笑)。ジェームズ(・ワン)やダレン(・リン・バウズマン)といった歴代の『ソウ』の監督は宣伝のために日本を訪れているけれど、僕はまだ行ったことがないので実現させたいです。思い起せば、映画作りに興味を持つようになったのは子どもの頃、『ゴジラ』を観たことでした。街のミニチュアを作り、着ぐるみをまとった俳優がそれを破壊する。こんな見せ方ができるんだ!という驚きがありました。なので日本にはぜひ行きたいです!」。ジグソウが東京を闊歩し、デスゲームを仕組む…そんな『ソウ』を、日本のファンとしてもぜひ観てみたい。 取材・文/相馬学