「もし一緒に引退していたら」長与千種&ライオネス飛鳥が語るクラッシュ・ギャルズ解散秘話「全女ってブラックで…これ初めて言うことだけど」
Netflixシリーズ『極悪女王』で令和のいま再びクローズアップされる2人のスーパースター。しかし彼女たちの物語は作品最終話で描かれた1988年以降もドラマチックだった。かつての盟友が対立し、その後再結成へ。クラッシュとは破壊と再生のストーリーなのだ。 発売中のNumber1109号に掲載の[スペシャル対談]長与千種×ライオネス飛鳥「クラッシュは命がけ」より内容を一部抜粋してお届けします。 【秘蔵写真】アイドルレスラーとして超絶人気を誇ったクラッシュ・ギャルズの現役時代。水泳大会での懐かしショットに、「いいとも!」テレフォンショッキングでの若いタモさんとの交流も。この記事の写真を見る。 全日本女子プロレス興業(以下、全女)で1983年に長与千種(以下、長与)とライオネス飛鳥(以下、飛鳥)によって結成された「クラッシュ・ギャルズ」。'89年の1度目の解散、両者の引退のあと長与は自身の団体GAEA JAPANを設立、飛鳥はフリーのプロレスラーとして各団体のマットに立ち、ヒール転向後に2度の女子プロレス大賞(東京スポーツが制定)に輝いた。結成40年を超えたいま、2人が運命の交差について語り尽くす──。
もしあのとき一緒に引退していたら…
飛鳥 全女のとき、一緒に中国にロケに行ったの、覚えてる? ('89年春) 長与 行ったね。南京でしょ。 飛鳥 (中国残留孤児2世レスラーの)天田麗文の実家にカレーを届けにいくっていう企画で(笑)。あのときに、「引退しようと思ってる」って打ち明けてくれたんだよね。うちらはビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)が引退をかけた直接対決で解散('79年2月27日、日本武道館)したのを知ってるから、「そういうことだけは絶対にやめようね」って約束してて、全女とフジテレビにかけ合って、「一緒に引退させてほしい」って頼んだ。最初は難色を示されたけど、最終的にはOKをもらえたのに、「東京スポーツ」に千種の引退をスッパ抜かれてしまった。 長与 そうだったね。 飛鳥 結局、千種は横浜アリーナで('89年5月6日)、私は3カ月後に後楽園ホールで辞めたんだけど(8月24日)。もしあのとき一緒に引退してたら、いまはないんだろうなって思う。千種が復帰した翌年に自分が復帰して('94年)、ヒールターンすることもなかったんだろうなって思うと、物事にはすべて意味があるんだなって。
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