【特集】「大変だったけどそのときしかできない経験で強くなれた」受験のため離れて暮らす決断をした親子は今 能登半島地震から1年
地震直後に出会った親子。大学受験を控える息子は勉強のために親元を離れ避難する決断をしました。あれから1年。今の親子を取材しました。(取材:鈴木穂香)
1月2日、こたつに入りテレビを見る家族。石川県輪島市の平野さん一家です。
1年前ここ輪島市を襲った能登半島地震。 輪島市の「朝市通り」は地震発生後に大規模な火災に襲われ200棟以上の住宅や店舗が被害にあいました。
地震発生から2日後、未だ激しい揺れと白い煙がくすぶる中、私が出会ったのが平野崇さんと長男の俊輔さん親子でした。祖父母宅から必要な薬などを取りに来たと語る崇さんの手に握られていたのが1つのやかんです。 父・平野崇さん(56)取材時: 「かろうじて水が残っていたので手洗いとかに持って行こうかなと」「水の配給は来ていないのでお茶とかはあるけど水が無くて」 発災直後、物資も少なく1杯のやかんの水が貴重なほど生活がままならない状況でした。 さらに俊輔さんは取材時は高校3年生。受験勉強のまっただ中でした。 息子・俊輔さん(18)取材時: 「(1月)13,14日に(共通テストが)控えています」「なんかもう…どうするんですかね」 受験を控える中、突然失われた日常に困惑していました。
それから約1か月たった去年1月末。俊輔さんの姿は輪島市から約100㎞離れた金沢市にありました。家族で話し合い、俊輔さんは1人受験のために避難していたのです。発災時に持っていた荷物だけで避難したということで、足りない参考書は新たに買い直したといいます。 息子・俊輔さん(18)取材時: 「いまは受験が第一なので、とりあえず自分の今やらないといけないことをやろうと思います」 初めて親元を離れたという俊輔さん。家族からSNSで励ましを受け受験勉強に取り組んでいました。
一方、同じ頃輪島市内の自宅には片付けを進める崇さんの姿がありました。 父・平野崇さん(56)取材時: 「実際のところ何からしていいか分からずに、ぼうっとしているだけなんですけど」