【特集】「大変だったけどそのときしかできない経験で強くなれた」受験のため離れて暮らす決断をした親子は今 能登半島地震から1年
崇さんがこう話す通り、家族の思い出が詰まった自宅は倒壊はしなかったものの家財が散乱。 また、壁には亀裂が入り床と柱の間には隙間があいてしまっていました。 電気や水道も止まったため、崇さんは妻と2人で避難所で生活をしながら、日中に自宅の片付けをしていました。 こうした生活は3月まで続き3月末以降、自宅での暮らしを再開したといいます。崇さんは、取材に、実際は何から手をつけていいかわからないと呆然とした様子で話しました。 父・平野崇さん(56)取材時: 「こんな所にいても仕方ないので向こう行って勉強してくれって勉強できる環境をすこしでもそう思って、1人で金沢へ(送り出した)」
それから約11か月。俊輔さんは無事第一志望の大学受験に合格。今は県外で1人暮らしをしていますが、この日は輪島市に帰省していました。 一番頼れる存在である親元を離れての受験勉強は、慣れないことも多い反面、貴重な経験だったと振り返ります。 息子・俊輔さん(19): 「大変だったけどそのときしかできない経験で強くなれたかなと思います」「ほんと落ちていると思っていて、(合格発表を見て)番号があった瞬間によかったって。騒いでいました、うれしくて」 去年1月取材した時よりも、たくましい顔つきを見せる俊輔さん。 大学では物理を学んでいて、勉強も遊びも充実した大学生活を送っているようです。
地震から1年ぶりに家族4人が集まった自宅。久しぶりの一家団欒です。 去年1月末と比べると片付いていますが、本来は壁を剥がして修理しなければいけない部分も最低限人が住めるような応急措置程度の修理をしている状態だといいます。 既に100万円以上費用がかかっていますが「準半壊」の自宅は自治体からの支援金は34万円ほど。 完全に修理するには全く足りておらず、同様の被害を受けた近所の人の中には将来を考えて既に輪島市を離れていった家族もあるということです。