保育士の月給が日本の小学校教諭超え!カナダに渡った元教員が「日本で生きていくのは無理」と語るワケ
近年、海外で働くことを選択する日本人が増えている。日本を出て海外生活を送る人々に話を聞き、彼らの決断の背景や日本が抱える課題を浮き彫りにするルポルタージュ「わたしが日本を出た理由」は、朝日新聞の人気連載だ。同連載に登場した友香さんはかつて日本の公立小学校で教職に就いていたという。現在、カナダで保育士として働く彼女が「もう日本には住めない」と語る、その理由とは。※本稿は、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班『ルポ 若者流出』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● カナダで保育士として働く 公立小学校の元教員 世界で最も暮らしやすい街の一つとされるカナダ・バンクーバー。この街で保育士として働く友香さん(40歳)は、移住して7回目の冬を迎えた。秋冬は「レインクーバー」と呼ばれるほど雨の多い街だが、このところ、晴れの日が続いている。 日本の公立小学校の教員を2016年に辞め、同じ年にカナダに渡った。18年からカナダの保育施設であるデイケアで保育士として働き、20年秋には永住権を取得した。 「日本で8年間教員として働いたけど、どんなにがんばっても、色々できるようになっても、評価も給料も上がらなかった」 早朝から登校指導や児童、保護者の対応に追われ、授業が終わった放課後も職員会議や翌日の授業の準備、採点など仕事は山積みだった。自宅に持ち帰って仕事をすることもあったが、教員給与特措法(給特法)が定められているため残業代は出なかった(注:公立校教員の給与は、残業代を支給しない代わりに基本給の4%分を「教職調整額」として一律上乗せして支給する仕組みになっている)。人生は「命の時間」だ。たくさんの先生がその時間を削って、子どものために尽くしている。日本ではそれが当たり前で先生たちの人生が大事に扱われていない、と感じていた。
初任地の小学校では上司から週に数回呼び出され、クラス運営について指導という名のパワハラを受けた。ときに涙することもあったが、「泣いても解決しない。どうにかしろよ」と一方的に責め立てられ、一緒に改善策を考えてもくれなかったという。診断書が出て休職が決まると、上司からは塾講師の道を選んだ教育実習生の話を引き合いに、遠回しに辞職を促された。 教員になって3年目、人生を変える出来事があった。担任していたクラスの学級崩壊だ。 物を投げ、周囲に暴力をふるい、教師の自分にも「死ね、クソばばあ」と暴言をはく児童がいた。暴力のきっかけは、いつもささいなことだった。問題の児童は授業中に手を挙げて、友香さんがほかの子を指名すると暴れた。親に相談すると、「うちの子が異常だと言いたいのか」「先生がちゃんとみていないからだ」などと責められ、協力は得られなかった。 ほかの児童も授業に集中できない。なかには登校するのを怖がる児童もいた。目を離した隙に問題が起きないように、友香さんはトイレを我慢するようになった。クラスには発達障害を抱える児童や不登校気味の児童も在籍し、自宅に迎えに行くなどの対応が必要なときもあった。もう1人では無理だと、職員会議でクラスの状況を報告して、「助けてください」と訴えた。そのときの上司の言葉は忘れられない。