スマホ時代にはない悦楽…100年前に吉田初三郎が描いた“日本地図”に感じるもの
スマホの地図によって、どれだけ便利になったことか。あらためて考えることになった。同時にやや不便ではあったけれど、以前は紙の地図を眺めることで、正確さとは別の何かを求めていたのかもしれない。そんなことがわかったのは、大正~昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師、吉田初三郎の仕事を見る機会を得たからだ。 【画像18点】吉田初三郎の鳥瞰図、『鐵道旅行案内』のページ
リアルを超えた吉田初三郎の鳥瞰図
大正から昭和にかけて鳥瞰図を多数描き、このジャンルでは第一人者である吉田初三郎(1884年 - 1955年)を知っているだろうか。府中市美術館で2024年7月7日まで、「Beautiful Japan 吉田初三郎の世界」という展覧会が開催されている。 吉田初三郎は1884年(明治17年)京都生まれ。若くして友禅図案師などに奉公。日露戦争従軍後、25歳で洋画家、鹿野木孟郎の門下に入り、画家を志すが、師の助言により鳥瞰図作成、商業美術に方向転換、日本中の名所図絵を描くことを決意し、「大正の広重」と呼ばれる(一説に自称したとも)に至る。大正から昭和初期には鉄道の発達、それによって起こった観光ブームもあり、初三郎人気は高まった。描いた鳥瞰図は1,600点以上に達するという。1955 年(昭和30年)没。(引用元:別冊太陽『大正・昭和の鳥瞰図絵師 吉田初三郎のパノラマ地図』解説に補足) 地上高い視点からまるで鳥が見たかのように地上を描く鳥瞰図。現代では航空写真やドローンによる撮影でそれほど珍しくはないけれど、この手法は航空機などない時代からあって、最も有名なのは室町時代の1501年頃に描かれたのではないかとされる雪舟の《天橋立図》だろう。 そして、近代となると、鉄道が張り巡らされ、産業の発展に寄与し、また観光の熱も高まっていった。そんな時代に活躍したのが初三郎である。 初三郎の鳥瞰図は日本の国土をまるっと収めてしまうものもあったりして、それはもう、鳥が見る目線や航空機やドローンからの視界などではなく、大気圏外に飛び出すロケットや人工衛星からの眺めである。しかも日本の国土の遥か先に、ハワイやサンフランシスコが見えたりする。これはもうリアルを超えた理屈的な(?)地図なのである。 現代では、ほとんどの人がスマホを持っていて、どこかに出かけるときはその地図を使うだろう。クルマで移動するならカーナビを活用するのがあたりまえになっている。でも、以前は携行できる地図を持って出かけたし、クルマには分厚いロードマップを積んでいたものだ。 特に僕などは編集者という職業柄、お店取材とかした際には周辺の目印(駅とか、交差点とか、大きな建物とか)を頼りにした地図を描いて、それをイラストレーターに渡して簡潔な、そして誌面で統一した地図にしてもらうのも仕事のうちだった。昔の雑誌を見てみると、正確で詳細な地図がいかに大事だったかわかる。それだけに地図には執着が強い。