若い頃は、もっと「よれよれ」だと思っていたが…「70歳を過ぎてもデート楽しい」中尾ミエが語る恋愛観
そうした入所者・患者さんのご家族のなかでも、ずっと通われてそばで付き添ってこられた方たちは、我々がかいがいしく面倒を見てきたことを知っているから、亡くなった後に、本当の死因が知りたいから解剖させてほしいと頼んでも大概はOKしてくれます。 ところが、生前にはまったく来たことがない子どもとかが突然やってきて、そういう人に限って「うちの親に傷をつけるな」と言って解剖に反対するんですよね。そんなに大事なら、生前にもっと会いに来てほしかった。
それと、アンチエイジングや認知症予防として、なるべく新しい人と出会って、いろいろと刺激を受けるのがいい。そんな話をしてきましたが、他方で、今、独居老人の問題もある。 1人暮らしの老人が心配だと世間は言いますし、孤独を寂しいものとしていやがる風潮もあるかもわかりませんが、人間、独りでいたいときだってありますよね。 私が特別、孤独が好きなのかもわかりませんが、人と会いたいときは会いに出かけて、独りになりたいときは家でのんびり過ごせばいい。そうやって孤独を尊重しつつ、みんなで暮らせればいいですよね。それがごくごく自然なことだと思う。
中尾 そういう町づくりをしてくれればいいと思いますね。きちんとプライベートは確保できるようにして、その一方で、みんなが集まれるような場所が常にある。食堂でもいい、ダンスパーティーとかみんなが交流できる催しだっていい。 そういう環境があれば、独りになりたいときは独りになれますし、また、孤独にはならないですみます。そういう町づくりというか、場所づくりができるといいですし、それぞれが自分の周りで、そういう環境をつくる実践をしてもらいたいですね。
■一人ひとりが分断されてしまった「阪神淡路大震災」 和田 精神科医として1994年までアメリカに留学して、その後戻ってきた直後の1995年に阪神淡路大震災がありました。 中学・高校と神戸だったこともあり、1年ほど毎週ボランティアに通っていたんです。震災の被害に遭われた人たちがそのつらさと悩みを共有して話し合うグループセラピーというものを行いました。 会議室のようなところを借りて実施したのですが、ほとんど若い人しか来ないんです。本当に独りで外に出られないようなお年寄りがいるのならば、避難所でも仮設住宅でも、いくらでも出張するよと思いました。
当時、避難所にも仮設住宅にも、集会所を作らなかったんですよね。それぞれの住宅はあるけれども、結局、一人ひとり分断されてしまっていた。だから集会所や会議室があれば、そこに出張してグループセラピーでみんなの話を共有しながら、心のケアだってできたはずです。 その後、さんざん文句を言っていたら、阪神淡路大震災以降の震災の際には、避難所や仮設住宅を作るときに、集会所や会議室のようなものを作ってくれるようになりました。そういうのは、べつに被災地の仮設でなくても、普段から必要なんだと思いますよ。
中尾 ミエ :歌手、女優/和田 秀樹 :精神科医