若い頃は、もっと「よれよれ」だと思っていたが…「70歳を過ぎてもデート楽しい」中尾ミエが語る恋愛観
中尾 制約がない代わりにそうなのかもしれません。そこまでいったらもう人類愛、なんて言うと大げさですね。 和田 年を取れば取るほど、パートナーは一緒にいて幸せを味わうためにあるわけであって、逆に相手を縛り付けるためにあるわけではない気がしますけれどもね。そこは考え方を変えないと、うまく年は取れない。 中尾 私は端(はな)から結婚願望がなかったから、自分の人生としてはこれで良かったと思っています。 和田 言ったら悪いけれども、70代でも80代でもいいですが、社会的地位もなくなり、年金暮らしになって、自分で稼いでいるわけでもないのに、現役時代と同じように奥さんに対して威張っている人――現役時代にだって、奥さんに威張っていいわけがないけれども――こいつ、何を考えているんだと思いますよね。
中尾 いろんな人がとやかく言っていたのかもしれませんが、貫き通していれば、もうこの年になれば何も言われません。誰にも迷惑をかけなければ、本人が幸せだと思っていればそれでいいわけじゃないですか。 和田 本人が幸せだと思っていればそれでいいのに。日本に限ったことではないと思いますが、周囲からの制約や縛りが多い。年を取れば取るほど、そういう縛りを減らしたほうがいいですよ。会社にいればそれなりのルールがあるし、子育ての最中にはママ友的なルールがあったりして、そこはある程度、社会生活を送っているわけですから。
我慢したとしても、もう60代以降はそういうことから解放される年齢ですしね。それなのに、親戚や子どもに縛られていたらたまったものではありません。 ■認知症の予防には、「新しい人」と出会うこと 和田 私が若い頃に勤めていた浴風会病院は、今は自由に入院できますけれども、そもそもが身寄りのない老人が入る施設として始まりました。だから、入所者が亡くなると、基本的には解剖していたのです。 我々が最後まで一生懸命面倒を見て、自分が生前に行った診断が本当に合っていたのか、解剖すれば答え合わせができるわけですよね。そのとき、初めてリアルな死因がわかる。