杉咲花 メン・オブ・ザ・イヤー・ベストアクター賞 ──人間・杉咲花に通底する真摯と誠実と
他者を諦めない表現者として
前述の「エンパシー」という言葉が象徴するように、他者の痛みを想像し、心を配ることはより良き社会の形成において不可欠な「相互理解」をもたらすピースであり、影響力の強い“物語”の作り手が実践しているのは頼もしい限りだ。ミヤタも「今まで様々な経験を重ねてきて、その都度に大きくなっていくご自身の影響力をしっかりと理解している」と語っている。しかも杉咲においては、思いやりと献身のレベルが図抜けている。松岡は「杉咲さんのように『この場にいない人』『社会の隅に追いやられてしまっている人』に対するアンテナを持とうとできる人はそんなに多くない」と証言。ただ、そんな彼女が信じる“当たり前”の実現は容易ではない。映像制作は集団作業であり、独りでは完結しないという。杉咲が進む道は、時として業界の“慣習”や“通例”を刷新する行為にもつながる。つまりは、自らの言葉と熱意で人を動かす労力がプラスされるわけで、その労苦は想像するに余りあるものだろう。 「今も日々難しさを感じています。自分なりに心を尽くしてアイデアや意見を共有してきたつもりですが、言葉の拙さにいつも反省します。『アンメット』でも脚本打ち合わせを行っていましたが、情けないことに涙を流しながらやっていたときもありました」 心にのしかかる不安や負担に呑み込まれなかったのは、なぜか。杉咲は、初小説「いなくなくならなくならないで」が第171回芥川龍之介賞候補に選ばれた気鋭の詩人・向坂くじらによるエッセイ集「夫婦間における愛の適温」を挙げた。 「本書の中に、『言葉の力』といわれているもののほとんどは、知識の力であったり、信仰の力であったり、性愛の力であったりする──という一文があります。向坂さんはとても豊かな表現で言葉を綴られる方ですが、そんなことをおっしゃるのかとハッとさせられました。自分とは違う価値観や外側の世界に意識を向けて、自分自身はどう思うのか思考し続けること──その先にある言語化の大切さについて、改めて考えさせられました」 自分と他者は違う。だからこそ、衝突したり惑い悩むのは当然。ただ本当に怖いのは、傷つくのを恐れてディスコミュニケーション状態に陥ること。ならば、互いに共通するツールである“言葉”を尽くして、届くまで伝え続けるしかない。愛読書に支えられ、杉咲は腹をくくった。 「『52ヘルツのクジラたち』では、あれだけの規模感でそうした形で作品をお届けする前例があまりなかったこともあり、一つひとつの必要性を現場に関わる人たち一人ひとりの腑に落としていくまでに膨大な時間を要しました。人とわかり合うことはこんなにも難しいんだと痛感した日々でしたし、折れそうになる心を何度も奮い立たせながら公開までの時間を過ごすなかで、感情的になり衝突してしまったこともあって。 「それでも──」と杉咲は前を向く。 「最後の突破口はやはり、相手に対してリスペクトをもって対話をするということでした。いまは、そこに信念があれば、熱意は波紋のように広がっていくと信じています。なぜなら、自分自身もアグレッシブに作品と向き合っている方々の熱量に突き動かされたひとりだからです。声をあげるのはとっても緊張することですが、知らなかった頃には戻れなくて」 耳に心地よく響く落ち着いた声で、なんと潔く、まっすぐな信念を語るのだろうか。杉咲はこう続けた。「人には言葉があるから」と。 「私は自分の意見や心理状態を他者に伝えることがとても下手なんです。ですが向坂さんが書かれていたように、言葉の選択肢が浮かんでくるのは知識の力であって、きっと人生において財産になるもの。だからこそ不得意であることを言い訳にしていられませんし、学ぶことを続けていきたいです。けれど、たとえ伝えるのが下手でもうまくやろうとはせずに、とことん向き合おうとする心でいることが何よりも大切なんじゃないかなぁと思います。それに私は、戦争も虐殺も反対しているので。暴力や権力で誰かを排除することではなく、言葉で人と関わり合う世の中を望んでいますし、自身もその努力を怠らずに生きていきたいです」 言葉は、話者の人格や行動と結びついたとき、より輝きを増すものだろう。杉咲の言葉には、本人の意志と努力が伴っている。実であり身が宿っているのだ。