杉咲花 メン・オブ・ザ・イヤー・ベストアクター賞 ──人間・杉咲花に通底する真摯と誠実と
杉咲の言う“感覚”は、「自分で納得しなければ演じられない」というエゴイスティックなものではない。その意識は、登場する人物と同じ苦悩を抱えた現実の人々にまで及ぶ。折に触れて「当事者の方の孤独や寂しさを想像したい」と発言しているが、物語と現実の双方を見つめ、丸ごと寄り添いたいともがいているのだ。 「人が痛みを感じる温度感や深度は、他の傷と比べたり、大きさで測ることのできないものだと思います。他者がいくら理解できなかったとしても、本人が痛みを感じたのだとしたら、それは誰がなんと言おうとひとつの痛みとして存在しているはず。私は、物語に描かれる人たちと実社会で触れ合う人たちに、同じように接していたい気持ちがあります。例えば、自分が他者に対してできないと思うことを自分が演じる役が他の役に対してやろうとするとき、何か意図があっての行動なのか、物語上の都合になってはいないか、一度立ち止まって思考することをやめてはいけない気がしていて。私は、他者/役を理解することは不可能に近いと思っています。近年は、“わかった気になる”危険性のほうを考えるようになり、シンパシー(自分の立場からの共感)ではなくエンパシー(相手の立場を想像)を持っていたい気持ちが強まってきました」 他者を完璧に理解することは難しいという現実に対し、「それでも“知りたい”と思う気持ちは、やっぱり大切な気がしていて。自分にないものを想像して他者と関わろうとする行為は、優しくいられるための一歩だと思うんです」という杉咲が選んだ道は、対話だった。『52ヘルツのクジラたち』では、映画『エゴイスト』で活躍したLGBTQ+インクルーシブディレクター(※1)のミヤタ廉、脚本協力の渡辺直樹、『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』の著者・松岡宗嗣とコンタクトを取り、インティマシーコーディネーター(※2)の浅田智穂、トランスジェンダー監修(※3)の若林佑真とも連動して知識や価値観を更新しながら作品に還元した。 杉咲が伝手を辿って自身までたどり着いた行動力に驚かされたというミヤタは「役者という職業において『上手く』演じるということだけで完結させているのではなく、作品が世に出ていく責任というところまでをしっかり背負っている」と杉咲を評する。 「全てにおいてリスペクトしていますが、中でもリサーチ力は目を見張るものがあります。話し合いをする度に、莫大な量の情報がもう知識として入ってるの?と驚くことが何度もありました」 同作の宣伝監修を務めた松岡は、杉咲に通底する真摯な姿勢に驚きを隠さない。 「制作環境や、描くテーマ・課題への向き合い方など作品に対する真摯な姿勢を知って、“こんな人が第一線にいるんだ”とまず驚きました。社会的マイノリティは映像作品のなかで都合よく描かれることが少なくありません。そこに問題意識を持って少しでも良くしていこうとしている人が、メインストリームで活躍している事実に、心強さを感じました。宣伝の方向性からパンフレットの構成まで、本人が打ち合わせに参加し、意見を伝える姿が印象的で、公式サイト上でのトリガーウォーニング(事前警告)も杉咲さんからの提案です。本来は監修から打診することが多いと思いますが、杉咲さんの後押しのおかげで、私は宣伝部の方と具体的な表現や落とし所に注力することができました。メディア取材の前日には直接メッセージで『こんなことを話そうと思っている』と相談いただいたこともありました。どんな言葉を選択するか、細部まで繊細に突き詰める背景には『誰も取りこぼしたくない』という強い想いがあるのだと思います。ご自身やメディアの持つ影響力を自覚しているからこそ、これまで見落とされてきた人々の視点を積極的にすくいに行こうとする姿を見て、とてもリスペクトを感じました。作品を届ける最後の最後まで責任をもって取り組む杉咲さんの姿が頼もしかったです」 当の本人はどんな役を演じるときも“スクリーンに自分の姿を投影しながら観る人がいるかもしれない”と想定している。 「間接的に誰かの人生に関わることができる可能性のある仕事だと思うんです。“勇気や希望を与えたい”と言えるほど立派なことはできていないと思いますが、映画を観ている間に大切な人のことをほんの一瞬でも思い返してもらえたり、誰かのパーソナルな時間に少しでも並走できるのだとしたら、それは本当に嬉しいことで。だからこそ、そのたった1人に向けて届ける意識をめぐらせていたい気持ちがあります。たとえば自分と異なる土地で育った人物を演じるときに、自分の想像上での方言を使うことは、実際にその土地を生きてこられた方々に対して失礼に当たりますよね。なぜなら方言は、誰かにとってのアイデンティティであり大切な文化だから。ジェンダーやセクシュアリティ、様々な家庭環境や職業の役を演じるときなどにおいても、やっぱり自分の想像だけでは創り上げられません。だからこそ有識者や経験を持った方に監修していただいたり、受け手が観る/観ないのジャッジをなるべく安心して行える環境を作っていくことに必要性を感じています」