【ヴェルサイユへ行こう!】マリー・アントワネットの「2つの寝室」に人気インテリアコーディネーター伊藤直子さんが注目した理由
王妃の生粋のセンスが爆誕したプチトリアノン
夫であるルイ16世が王位につくと、王妃となって権力を思うままに操れるようになったアントワネットは、新しいスタイルを生み出すセンスをさらにブレイクさせていきます。 もともと、政治や勉強に興味がなく、ファッションやダンス、音楽、仲間とのくったくないおしゃべりが大好きなアントワネットは、堅苦しい宮廷での暮らしからなんとか逃れようとします。 ルイ16世は錠前づくりと狩が趣味の朴訥としたおとなしい男性。アントワネットはこの優しい夫にねだって、ベルサイユ庭園のなかに自分だけの宝石のような館を譲り受けます。 すでにルイ14世時代からあったグラントリアノンと区別して、それはプチトリアノンと呼ばれ、アントワネットが宮廷から離れ、子供達やお気に入りのポリニャック伯夫人数名しか入れない夢のような隠れ屋にしたのです。 そこには、夫のルイ16世ですら、アントワネットに特別に招かれないと入れなかったといわれています。 プティトリアノンは、宮殿内の優美で豪華なロココ様式とは異なり、直線的でよりシンプルな装飾で、ネオクラシック(新古典洋式)またはルイ16世様式と呼ばれました。 家具職人リーズネルは、アントワネットの命によって、装飾を抑えた直線的な脚をもった洗練された家具をつくりました。 当時としては、とてもモダンな家具だったと想像できます(これ以降、ナポレオン時代の家具もまっすぐな脚をもつようになりました)。 当時、イタリアで、火山噴火で埋れた古代ローマの都市ポンペイの遺跡が発掘され、これを機に一躍ヨーロッパじゅうで古代(クラシック)ブームが起こったことで、家具の脚は、カブリオールレッグから、古代の神殿の柱をイメージした直線的なものになったのです。 アントワネットは、トレンドを捉えるセンスが抜群でしたから、真っ先にモダンな脚を取り入れ、さらにマリーアントワネット風のインテリアにコーディネートしたのがプチトリアノンです。