《ブラジル》特別寄稿=投下79年目に読み返したい原爆文学=米国日系作家ヒサエ・ヤマモト=サンパウロ市在住 毛利律子
原爆を落とした元兵士の涙と、無言で彼の懺悔を聞く父親
ヒサエ・ヤマモトは、短編[The Streaming tears]で、父親がラスベガスの街中で出会った4人の男たちとの物語の四番目に、原爆を投下した白人パイロット登場させた。この男は、B―29爆撃機の元パイロットである。彼は、ヒロシマに原爆投下をしたことを、強い自責の念をもって父に告白する。ヒサエ・ヤマモトは、作中の兵士に次のように語らせる。 「自分は原爆で多くの人々を殺してしまったが、それは仕方がないことだった。僕が彼らを殺さなかったら、彼らが僕を殺していただろう。僕か彼らか、どっちかだ」と言い訳をしながら、涙を流す。 戦後、世界最強の国になった1950年代のアメリカでは、原爆を投下した彼は英雄であった。しかし、実際に発射ボタンを押した事実は自分の記憶から消すことはできない。生涯この罪を背負うのだ。 そんな彼が偶然にも年老いた日系人に出会い、未知の原爆投下で日本人を大量殺戮した罪の深さを、涙を流して語りつつも、それが戦時下では、やむを得なかったという自己弁護の言い訳をする。 元兵士が涙を流して嘆くのを目の当たりにして、その告白を無言で聞く父。この静かなエピソードは何を物語るのか。 ここにいる父は、いまだ敵国民というレッテルを貼られ、この戦争において、アメリカ日系一世は、アメリカ人か日本人かの二者択一に迫られた。一方を選ぶということは他方を捨てるということを意味し、双方を持つという選択肢は、事実上なかった。軍事力を誇示する国家社会で生きている日系人は、この国家で、いわれのない差別を受けながらも、そこに血縁者がいて生活し、おそらく日本に帰ることなく、アメリカに骨を埋めるであろう。 この場面が静かに語られることによって、両者の立場の違いと深い悲しみ、葛藤が如実に浮かび上がってくる。 さて、2019年に実施された原爆投下の是非を問う調査結果がある。それは、アメリカ本国のみならず、ヨーロッパの国民を対象にしたものである。戦争の早期終結を成し遂げ、多くのアメリカ人の命を救い、同盟国の兵士と、日本人の命をも救うことになった、という解釈は大多数に支持されており、数十万の命を奪ったアメリカ政府の非を追求する声は少ない。
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