「ドイツの空を飛ぶものは全て私の配下なのだ!」 “緑の悪魔”として恐れられた空軍を運び、ムッソリーニの救出作戦を助けたDFS 230
車輪で離陸し、そりで着陸する小型グライダー 「ドイツの空を飛ぶものは全て私の配下なのだ!」 ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥はかつてこう豪語したという。 この言葉に偽りはなく、アメリカとイギリスが空挺部隊を陸軍の所属にしたのに対し、ドイツでは、それをルフトヴァッフェ(空軍)の所属とした。加えて名称も独特で、アメリカやイギリスが「空挺兵」と称したのに対し、ドイツは「降下猟兵」と称している。 降下猟兵はきわめて精強で、同じドイツ軍の別の兵科のとある将官が「降下猟兵の武器はナイフだけで十分」と、皮肉と羨望混じりで語ったほどだという。そんな彼らはグリーン系の迷彩が施されたポケットの多い降下用スモックを着用していたため、連合軍から“緑の悪魔”の渾名で呼ばれ恐れられた。 その降下猟兵も、パラシュート降下では分散してしまうこともあるが、グライダーで降着すれば少なくとも1機分の兵員がまとまって地上に降り立つことができるという、他国の空挺部隊と同じ理由から、ドイツもまた強襲グライダーを開発した。というよりも、先にドイツが開発し、後発のアメリカやイギリスがそれを真似たのである。 ゴータ社の主任設計技師でグライダーの権威ハンス・ヤコブが1933年に設計に着手した強襲グライダーDFS 230、すなわち本機は、1937年に初飛行に成功して実用化された。鋼管で機体構造のフレームを組み上げ、これに羽布(はふ)やべニア板などを張り付けた胴体と、フレームに合板と羽布を貼った翼を備えている。 興味深いのは降着装置で、離陸時には車輪を用いるが、飛び上がった後にこの車輪は投棄され、目的地での降着時には、機体下面に設けられた橇(そり)を使用した。 DFS 230にはパイロット1名の他に完全武装の降下猟兵9名が搭乗するが、戦前に開発された小型の機体なので、アメリカやイギリスの強襲グライダーのように火砲や軽車両を搭載することはできなかった。 総生産機数は1600機以上で、1940年5月の西方戦時のエバン・エマール要塞奇襲攻撃や、山頂に幽閉されたイタリアのドゥーチェ、ベニト・ムッソリーニの救出作戦などで活躍している。
白石 光