メディアで喧伝された中田英寿の「孤立」、福西崇史は「仲が悪かった」のか…「意見はぶつかる」けど
サッカー元日本代表でジュビロ磐田などで活躍したサッカー解説者の福西崇史さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。日韓ワールドカップ(W杯)での経験や代表チームのホスピタリティーがどのように改善されていったかを語った。 【写真】感動の光景…福西さんを抱きしめるヒデ
足が震えた、人生で一度だけ
福西さんの日本代表デビューは1999年にパラグアイで開催された南米選手権(コパ・アメリカ)。
「すげえ、異様なんだよ。ドロドロのグラウンドで、(グラウンドが金網に囲まれて)金網デスマッチみたい。サポーターが金網に上って『おらーっ』ってやって、雰囲気が殺伐としてるわけ。日本の平和的な感覚で行ったから、殺伐とした感じが鳥肌やん。怖いっていうのが最初だった」
2002年の日韓W杯では、1次リーグ第2戦のロシア戦の後半40分に途中出場した。
「あんなに足が震えたことは初めてだった。人生で1回だけ」。日韓W杯のピッチに立ったのはこの約5分間だけだったが、この経験は大切にしている。
「途中交代のグラウンドの横に立った時。あれが緊張のマックスだった。だから、今では緊張することはほぼない。(テレビの仕事とか)緊張するよ。でも震えることはない。あの時はすごく嫌な経験だったけど、その後に生きる経験という意味では、嫌な経験もしておいた方が次は楽じゃん」
「(ほど良い緊張は)必要だ。でも、硬くなるとか、良くない緊張もあるわけ。だから子どもたちには『(緊張して)良かったな』って言う。その経験をした方が生きるから。『準備必要なんじゃないか』とか言える。だから『緊張はしなさい』って言う」
日韓W杯の代表メンバーにはジュビロ磐田の中山雅史さんもいた。
「ジュビロの時もそうだけど、(練習のジョギングでも)中山さんの前を走ったことないんだよ。走らせてくれない、あの人。『先、走らせてもらいます』って言ったら、ジョギングでさえも抜かせない。負けず嫌い」
地元開催でプレッシャーのかかる日韓W杯では、チームを支えるベテラン選手の存在があったという。