ハチ(米津玄師)さんと2010年の即売会で話した大切な思い出。「ヲタクはいじっていい」時代があった
米津玄師が紅白歌合戦に出演し、大きな話題になっている。だが紅白以外にも、ファンにとって衝撃的な出来事が9月30日に起きていた。「どうも、ハチです。」という言葉と共に、あるMVをYouTubeにアップロードしたのだ。 曲名は「ドーナツホール」。米津玄師が、2013年にボカロP※ハチとして発表した曲だ。映像はまるで豪華なアニメ映画のように進化したものの、歌うのはボーカロイドであり、楽曲自体はほとんどあの頃のままだった。 米津玄師が、ハチとして帰ってきた── 。MVを見終えて放心したまま、私は14年前のことを思い出していた。「国民的アーティスト」どころか、「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」といったヒット曲すらまだ世に出していない、「新鋭のボカロP」だったハチさんと数分間話した大切な思い出だ。 ※ボカロP=ボーカロイド・プロデューサー:音声合成ソフト「VOCALOID(ボーカロイド)」を用いてオリジナル楽曲を制作する人のこと
明らかに異彩を放っていた
2010年2月7日、当時高校2年生だった私が日曜日に向かったのが、東京・大田区のJR蒲田駅から歩いて15分ほどの場所にある、大田区産業プラザPiOという会場だ。この場所に、ハチがやってくる。 会場というとライブのように聞こえるかもしれないが、そうではない。「THE VOC@LOiD M@STER」(通称:ボーマス)というボーカロイドオンリーの即売会イベントだ。ボカロPたちが自費でCDを作り、1000円程度で手売りするというものである。「規模がかなり小さくなったコミケ」を想像してもらえればいいと思う。このイベントでハチは「花束と水葬」という初のアルバムを販売する予定だった。 オープンするとすぐに会場はボーカロイド音楽を愛する「ヲタク(当時はこの表記の方が一般的だった気がする)」たちでごった返し、多くのブースに列ができた。みな熱気を帯びている。同人という緩さも相まって、購入時にはボカロPに感想を語ったり、差し入れを渡したり、買ったばかりの新譜にサインをもらう光景がいたるところで見られた。 ただ、一つだけ異様な列があった。400~500人が列を成す最大勢力。ハチを含む、数人のボカロPによる合同ブースだ。私も開場と同時に慌てて列に並び、数十分待つことになった。 今でこそ米津玄師として「Lemon」がYouTubeで9億回近く再生されているが、この時のハチはニコニコ動画で100万回以上再生されたのが「結ンデ開イテ羅刹ト骸」という一曲しかなかった。にも関わらず、並んでいる人のほとんどがハチのアルバムを買い求めている。 いよいよブースまで10人程度……となった時、正直に言うと、少しギョッとした。ハチのブースに立っていた男性は、周囲に比べ明らかに異彩を放っていたからだ。奇抜な格好をしていたわけでも、恐ろしい形相をしていたわけでもない。ただ、立ち姿がどこか浮き世離れしており、彼の周りだけ違う世界のようだった。 ついに前の人が買い終わり、一歩前に踏み出す。少し見上げる形になり、なおさら緊張した。財布からコンビニのアルバイトで稼いだ1000円札を出すと、彼は1st Album「花束と水葬」を手渡してくれた。曲の感想を伝えたかったが、背後には「ハチ待ち」の長蛇の列。萎縮してしまい、お辞儀をしてはけざるを得なかった。 「ハチさん完売です! 繰り返します、ハチさん完売です!」悔しさを噛み締めながら別のブースに並び直していると、そんなお知らせが聞こえてきた。まだハチの列に並んでいた人たちから悲嘆の声が漏れた。列を鑑みるに相当な在庫があったはず。初参加、初のアルバムにして、異例のスピードでの完売だった。 それから恐らく数時間── 。会場の人混みもだいぶ落ち着いた頃、駄目で元々、ハチのブースを再度訪れてみた。完売後もサイン待ちの長い長い列ができていたが、幸運にも、そのとき列には誰も並んでいなかった。今しかない。意を決して、ブースに立つ男性に話しかけた。 「こんにちは! 先ほどアルバムを買ったものなのですが、あの、ハチさんですか?」 念のため尋ねたのは、即売会では「売り子」と呼ばれるスタッフが代理でブースに立つこともあり、勇気を出して話しかけると違う人という恥ずかしい罠が頻出していたからだ。 「そうです」 そう答えた彼の声は小さく、正直あまり聞き取れなかった。ただ雰囲気からYESと受け取り、いよいよ興奮しながらファンとしての感想を語った。気づけば1分近く一人でしゃべってしまい、恥ずかしくなった。 「ありがとうございます」 ハチさんははにかみながらそう返してくれ、逆に質問してきてくれた。「学生ですか?」と。 「はい、高校2年生です!」元気よく答えると、「そうですか、俺もいま専門の1年なんで」と言われて驚いた。まさかの2個上だった。